あえて訳せば「優子さん」・・・?
なにやらこの映画、『メヘルジャン মেহেরজান Meherjaan 』が気になります・・・・。

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個人的にはヴィクター・バナルジーの老練な渋い演技が見たいのですが、上の画像の通り主役メヘルの老年期の役をジャヤー・バッチャンが演じてますし、インドの他にもパキスタン、そして当然ながら制作国バングラデシュの名優が数多く出演しているようです。

この南アジア三カ国名優共演の話題性もさることながら、作品自体がバングラデシュ国内で大きな論争を巻き起こしており、今年1月24日にダッカで公開されてわずか一週間後には抗議を受けた配給会社側の判断によって上映中止に至った問題作ということで、既にここ数ヶ月の間にインドやパキスタンのメディアでも少なからず話題になっていたようです。
(とりあえずウェブで拾えたところでは、Times of IndiaDawnPakistan Today など。最近になってBBC でも。)


映画では、1971年のバングラデシュ独立戦争の渦中において数多く発生した、敵側兵士による女性への性的暴行とその後の禍根*1 が主な題材として扱われているようです。しかし、今回この映画がとくに大きな反論を呼んだ原因は、その題材ではなくむしろその描き方、とくに主人公のベンガル人女性メヘルが敵側の西パキスタン軍兵士との恋に落ちるという、ある意味スキャンダラスな設定にあるようです。

上述のニュース記事などでのルバイヤト・ホセイン রুবাইয়াত হোসেন*2 監督の発言によれば、独立戦争に関して善悪二元論に硬直した描き方に対して疑義を差し挟もうという明確な強い意図があったようですが、40年近い時間が経過したとはいえ、やはり交戦国に対する当時の戦争犯罪の責任追及が今も進まないまま現在進行形の政治問題*3 であり続けている以上は、監督の意図に対して否定的な社会の反応もやむなしということなのでしょうか。それとも現在の国内政治状況のなかスケープゴートにされてしまったんでしょうかね。



映画の具体的内容や論争の背景などについては、EPWに先月載ってたこの論評が特に詳しかったです。この戦争中の集団暴行の問題について調査してきたナヤニカー・ムカルジー नयनिका मुखर्जी というインド人研究者によるものですが、彼女自身の専門分野からの十分な解説がなされており、いろいろと興味深かったです。

あまりにも暴行被害女性の数が多かったせいなんでしょうか、同論評によると、早くも戦争終結直後の1972年には公的に「ビランゴナ বীরাঙ্গনা birangona」、戦時下に苦難を耐え忍んだ勇敢な女性として賞賛をこめてそう呼び習わされるようになり、これによって暴行被害の事実が「キズモノにされた」的な汚名ではなく「戦時における負傷」的な名誉の証として(ある種強引に)読み替えられ、女性たちの社会的地位回復が図られることになったそうです。また、新生政府の政治的需要ともあいまって、このように独立建国の神話と関連づけられたナショナリズム的な描かれ方が、これまで独立戦争時の暴行被害女性を扱ってきた文芸や映画など一連の芸術作品において主流となってきたそうです。

敵側兵士を良心的な人物として描くことやそのような登場人物との恋愛沙汰などは、上記のようなビランゴナ像からの「逸脱」であるがゆえ、また既存の公式見解とは相容れないものであるがゆえ、独立戦争を戦った元兵士を中心とするナショナリストの男性陣営からの猛烈な反感を呼んだようです。さらにそれだけでなく、実際に当時暴行被害に遭った著名な女性彫刻家などビランゴナの女性陣営からも、悲惨な被害事実を忘却ないし矮小化するような試みだとして怒りの声が上がっているようです。


論評では、いくつか近年の他のビランゴナ・ジャンル作品とも比較しながらこの映画についての評価が下されています。この作品に関しては、いささか不備な点も多々あるものの、当時の女性の有り様や社会状況などについて、より細かいニュアンスを描きこもうとしている点がおおむね高く買われているようです。とくに、もう一人の中心人物ニラ নীলা Neela *4 の描き方に多く注目が寄せられています。

ニラは、暴行被害に遭ったのちに女性部隊の一員として独立運動に参加していくという、いわば既存の語りにおいて典型的な二種類のビランゴナ像(受動的な被害者/能動的な女性闘士)を踏襲したような役どころで、前者から後者の局面への移行という、多くのビランゴナが実際に辿った経験を反映しているようです。こちらの女性像は、一見するとそれほど既存の描き方から逸脱していないゆえ主人公メヘルと敵側兵士との恋愛のようにとくに表立って問題視されていないものの、味方側の男性によるビランゴナ女性に対する性的搾取などの、非戦時下における女性への構造的な暴力という重要な問題点を示唆するものとして評価されています。
(ちなみに主人公メヘルのほうは、正確に言えば「ビランゴナ」とはならないようです。どうやら、あわや暴行の憂き目に遭うところを同部隊にいた敵軍兵士に助けられ、それによって逃亡兵となった兵士との恋仲を家族に知られたために家族や社会から遠ざけられてしまうようなので。)


そのほか細かい話ですが、パキスタンや北インドのムスリムの名前に多い「カーン خان」が蔑称として用いられるという点がとくに個人的に興味深かったです。同論評のなかでも、映画のセリフに出てくる言葉として、残虐な西パキスタン軍兵士を指して「カンセナ খানসেনা khansena」、それらの兵士の手が触れた(暴行された)という意味あいで「カネラガ খানেলাগা khanelaga」といった表現が言及されていました。
また、メヘルが恋に落ちるパキスタン人兵士がバローチーという設定なのも何だか象徴的ですね。この選択についても同論評によれば、パンジャービー部隊と比較して相対的に悪評が少なかったことなど、実際に現地の通説に則しているようですが。




・・・最後に蛇足ですが、関心が薄かったせいもあってベンガル語圏の事象はスルーし過ぎてたかと反省して?ちょっと白水社のエキスプレスを開いてみたりするなど、自分の中でにわかにベンガル語ブームが起きそうな予感がふつふつと。しばらくマイブームに乗ってちょいちょい復習でもしてみようかと。

しかも、近頃こんな話も出てるようですね。あなビックリですが、多々納得なことも然り。やはり世相の変化が後押ししてるんでしょうか。合弁子会社を設立させた某企業をはじめアパレル業界の生産拠点の移転先として、はたまた今後拡大の可能性を秘めた潜在的巨大市場として、いろいろとバングラに対する経済的関心が日本でも高まってますし。とりあえず依然としてあくまで構想の段階のようですが。

※追記:なんでだか謎ですが、「मेहर」が頭の中で勝手に「महल」と誤変換されてた模様です・・・。「मेहरबानी」の「मेहर」なんだから・・・。というわけで記事タイトルもこそーり変更。



*1:同じような女性に対する集団暴行は、印パ分離独立時において住民の間での略奪殺戮とともに数多く発生しており、この時期の混乱状況を扱った歴史社会研究や文学作品におけるテーマとして欠かせない位置づけを占めていますが、いかんせんこっちの独立戦争時の出来事については寡聞にしてほとんど知りませんでした。
ただ、南アジア地域(に限りませんが、この地域において顕著ということで)における女性の位置づけ、とくに生殖能力や集団再生産との関連から付与される象徴的重要性などの文化的背景、そして、それゆえときに女性への辱めが集団間抗争において効果的な攻撃手段として実行されやすい社会状況などなどを勘案すると、そのような歴史的暗部の存在自体やこの映画に対する感情的反応などについてさもありなんという印象ではありますが。

*2:どーでもいい話ですが、ベンガル文字表記では「ホセン হোসেন」になってしまうんですね。バングラナイズされたムスリム名ってどうカタカナ表記したもんだか・・・。
そのほかヒンディー語などと共通する単語でも、如何せんどうも音韻規則の異なる場合が多いので戸惑いますな・・・。

*3:この点では、とくに右派政治勢力からの猛烈な批判に晒されているあたり、東アジア諸国での歴史論争を想起させるものがありますな。状況は異なれど相似形の歴史の暗部に切り込んだ問題作とかなんとか売り込めば、日本でもどこか東京か福岡あたりの映画祭で上映してくれんもんでしょうか。ぱっと見て「第三世界」「女性監督」「女性問題を扱った社会派テーマ」といった表面上の要素だけ並べてみても、映画祭受けしそうというか・・・。

*4:この名前もベンガル語読みにしたら、二音節と短いので「ニーラ」とでもしたほうが妥当なのだろうか悩みます・・・。

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by ek-japani | 2011-04-22 22:45 | 映画


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