またまたBBC Hindi より・・・。
■2005年6月11日:गरम है भोजपुरी फिल्मों का बाज़ार ※同じような話が英語で書いてあるのはこちら。 全然知らなかったが、最近 *ボージプリー भोजपुरी で制作される映画が活気付いて来ているらしい。 *ヒンディー語の方言として分類される一言語の名称(詳しくはリンクを参照) 以前からもボージプリーで映画は制作されていて、地元(ビハール州&ジャールカンド州とUP東部の一部)の各地では細々と街の映画館にて公開されていたらしい。だけどもボージプリーで映画を制作するなんて三流のやる仕事だ!とゆう感じで、ヒンディー映画界の著名な人々が参加する事など今までは全然なかったらしい。 しかしここ数年の間に状況はかなり変わってきたとのこと。一部の勇気ある制作者がしっかりと予算をかけ、プロの俳優や音楽家と組んでより良い脚本の選定を行なったのがキッカケだそうな。 そこからはどんどん好循環である。 ①良作が公開→②観客が映画館に集まる→③ボージプリー映画が再評価→④他のボージプリー映画の客足にも好影響→⑤ボージプリー映画の業界全体がさらに盛況&作品の質向上→⑥予算増加&イメージアップでヒンディー映画の著名人も参加→⑦さらに観客&上映館の増加、上映地域も拡大・・・・という具合である。 特に⑥の段階の有名な話では、ヒンディー映画の女優ジューヒー・チャーウラー जूही चावला もボージプリー映画に出演する らしい。 またプレイバック歌手として有名な ウディト・ナーラーヤンउदित नारायण は何とプロデューサーとして制作した『Kab Hoi Gauna Hamar कब होई गवना हमार』(『 いつかしら 私の嫁入り?』) というボージプリー映画がヒットして、現在ムンバイーやデリーの映画館でも公開されている らしい。(ちなみに映画タイトルを連邦公用語的な標準ヒンディー語にすると『Kab Hai Gauna Hamara कब है गौना हमारा』 だろう、“गवना”の綴りでは辞書(The Oxford Hindi-English Dictionary)には載ってなかったが、この映画のローマ字表記タイトルから推測して引きなおしてみたら《280p“गौना”:女性が父親の家(*=実家)から夫の家(*=婚家)に(*初めて)連れて来られる儀式》とあった。*部分はブログ作成者) この現象はグローバル文化VSローカル文化の事例として考えると興味深い。 文化グローバル化現象の象徴とされ世界中に席巻するハリウッド映画、それに対置して国産映画の高い上映率と年間制作本数を誇るインド映画はローカル文化の象徴と考えられる事も多い。 しかしインド映画はローカル文化であると同時に、別の次元ではグローバル文化でもある。インド国外に向けては南アジアの近隣諸国をはじめ、東南アジア、中東アラブ諸国、旧ソ連の中央アジア&東欧地域などにも輸出されている。特に近隣諸国の映画産業にとってはインド映画が国産映画のシェアを食いつぶす大きな脅威となっている。 さらに「インド映画」というカテゴリーの内部でも同様のせめぎ合いがある。 どちらかとゆうと、南インド4州公用語(テルグ、カンナダ、マラヤーラム、タミル)の映画業界の間には住み分けがあるような感じだ。(あんまり詳しくないのでアレだが、お互いにヒット作をリメイクしたりしてるので、一つの言語の作品がそのまま他の言語圏の観客にもヒットする事は難しいと推測。) むしろ問題なのは北インドにおけるヒンディー語映画とそれ以外の地域言語による映画との関係である。近隣諸国の映画産業に対するのと同様に、ヒンディー語映画は地域内におけるグローバル文化という側面も持ちうる。 ベンガル語映画、マラーティー語映画、グジャラーティー語映画などがそれぞれの言語圏で制作されており、それぞれがヒンディー語映画にも劣らぬ伝統を基に良い作品を送り出している。(コルカタ発のベンガル語映画は『大地の歌』などの3部作でサタジット・レイ(ベンガル語ではショットジト・ロイ সত্যজিত্ রায় ・・・だったかな?)は海外でも有名だし、最近ではマラーティー語映画『シュワース श्वास』(=『眼』)が昨年度のオスカー賞外国語映画部門にインドから出展する映画として選ばれ話題を呼んだ。) それでも興行的な規模&シェアの比較で言えば圧倒的にヒンディー語映画に押されている、というのは北インドのどの地域でも事実である。芸術映画の分野での傑作や監督・俳優による話題作などが他の言語圏で何本か公開されるとしても、大衆文化の観点からどの地域言語の映画も産業全体としてはヒンディー語映画に対抗できるものではない。やはり優秀な人材&潤沢な予算を投じて制作されるヒンディー語映画の方が北インド一帯のどの街でも多く公開され観客も見に来るので、ますますヒンディー語映画の勢力が拡大するという地域内グローバル化の構図が出来上がってくる。 (なんか長々と本来はここのブログで書くような内容ではない感じもしてるが、前置きとしてやはり必要なので・・・。ここから本題。) それら地域言語の映画と比べると、ボージプリー映画が地域内グローバル文化であるヒンディー語映画と向き合う状況は微妙に異なってくるように思う。 一般的にボージプリーがヒンディー語の方言として下位区分に含まれるように、映画産業としても他の地域言語ほどはヒンディー語映画界から離れていない。 この事はボージプリー映画にとっては有利な点でもあり不利な点でもあると思う。 不利な点として考えると、やはり今までのボージプリー映画の状況のように“わざわざ何でボージプリーで?”という感じで、より多くの観客&興行収入を見込める「ヒンディー語」映画に人材&資金も持って行かれてしまうと思う。この意味ではヒンディー語圏外の他の地域言語より状況はさらに厳しいかもしれない。 しかし利点として考えるなら、実際にも上述のようにヒンディー映画界からの参入する場合、他の地域言語映画への参入に比べたら容易なのではないだろうか。(特にセリフを喋らなくてはいけない俳優にとっては。) また*話される地域が広大なので「ヒンディー語」というモノの内実も千差万別であるが、ボージプリーも多様でも一定の枠組みに何とか纏められる「ヒンディー語」である事に変わりはないとするならば、他の地域言語よりは地域外の観客に対して通用する度合いは高いのでは。とするならばヒンディー語映画が浸透してる北インドの広い地域で同じように流通する事は可能だろう。(かなり自分の私見、むしろただの予想。しかしボージプリー映画がデリーなど他のヒンディー語地域だけでなく、パンジャーブ州や西ベンガル州にも進出してるというので考えられなくもないと思う。) *主に州公用語がヒンディー語の州:西の方から順に挙げると、ラージャスターン、マッディヤ・プラデーシュ(通称MP)、ハリヤーナー、連邦首都直轄領デリー、ヒマーチャル・プラデーシュ、ウッタランチャル、ウッタル・プラデーシュ(通称UP)、チャッティースガル、ビハール、ジャールカンド、これらの州の地域を指す事が一般的(なのかな?)。 文化の勢力争いの中で対立する地域内グローバル文化を駆逐して取って代わるわけではないが、ローカルの側からそのローカル性を武器に一段階上のレベルでの地域内グローバルに参加を果たしたボージプリー映画、そういう意味で興味深い記事だ。文化的画一化だけでなく、地域文化の脱地域化というグローバリゼーションの側面を示していると思う。 もちろんボージプリーの中にも様々な地域の訛り、下位方言が存在するというので映画に使われる方言がボージプリー言語圏内での地域グローバル基準とまたなるのだろう。 (そうなると果てしなく細分化でキリが無い話になるので、、もうここらで・・・。)
by ek-japani
| 2005-06-12 10:54
| ニュースより
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