世田谷美術館 “宮殿とモスクの至宝”展
この前急に暇ができたので、アラビア語マニアの友人を突然誘ってこんな催しものに行ってみた・・・。

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『宮殿とモスクの至宝 イスラム美術展 V&A美術館所蔵』
(Palace and Mosque : Islamic Art from the Victoria and Albert Museum)


ロンドンにあるヴィクトリア&アルバート美術館がおおもとの企画・所蔵品貸出行っているとの事。
現在は砧公園内に位置する世田谷美術館で開催されている。


展示品の地域・時代は、主にマムルーク مملوك 朝オスマン عثمان 朝のものを中心に、そのほかにもイランのサファヴィー صفوی 朝ガージャール قاجار 朝のもの、大航海時代のヨーロッパ、特にイタリアのヴェネツィアやスペインのレコンキスタ後の時期のものなど。

品目としては、展示会のタイトルのように華麗な装飾の施された王宮の生活用品(水差し、ランプ、陶磁器)や装飾品(絨毯、肖像画、壁面のタイル)、そしてモスクなど宗教の文脈に関わるもの(クルアーン قرآن 、天体観測儀、マスジド مسجد 内部の装飾の一部;壁面のタイルなど)に分類できる。
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とくに、マスジドのなかでキブラ قبلة の方向にあるミフラーブ محراب/مهراب (写真;←左)とその右横に通常(美術館の中では別々)配置されているミンバル منبر (写真;右→)が、どうやって運んできたの?しかもどうやって館内に入れたの??ってな感じの大きさのが展示されていた。

うひょっ、デカいぞっ。

c0072728_931514.jpgこの前代々木のモスクに行ったときのように、ついつい装飾品にあしらわれたクルアーンの一節とかを読んでみようとマジマジ見るも、線が入り組みすぎて判別するのはやはり無理だわな・・・。

そのあとでイランの叙事詩『ホスローとシーリーン خسرو و شیرین』の絵巻物(写真;右→ 『ホスローとライオン』)を見た時、書いてあったペルシアの書体が何故か少し懐かしく??見えた気がした。
(まぁ文字は追えても、いずれにせよ読み&内容がわからんので同じ事だが・・・。)


それにしても・・・。
最近「イスラーム」が流行、というか何というか・・・。こんな展覧会が開かれて、連休に若者から熟年層まで多くの観客を集めるのに成功している光景を実際に目の当たりにすると、近頃は「イスラーム」と名のつくもの対する関心が、それまで関心を持たなかった人々にまで確実に広がってきているのだなぁと思ってしまう。
(それがどの位増大したか、とか、どれ程その関心の対象が理解されているか、とかいう話はさておき、少なくともこういう展覧会がやってたら、「あっ、ちょっと行ってみよっと。」ってなるレベルでの関心に限って。)

会場内にあった説明文でも、漠然と「イスラーム」に対して広がってきたそのような関心を、今度は一歩踏み込んだ理解につなげ深めていこうという努力がちらほら垣間見える。
なかでも、いくつかイスラームに関するモノ・人名などの名称やそのカタカナ表記が、最近の流れに沿った感じで書かれているのが目に付いた。
具体的には“預言者ムハンマド(マホメット)”とか“聖典コーラン(原音クルアーン)”、“聖地メッカ(原音マッカ)”てな感じ。あと“スルタン(アラビア語ではスルターン)”ってのもあった。
(個人的には“ムスリム(信徒)”、ってのがビックリ。「クリスチャン=キリスト教徒」ほどでないにしても、名称としてけっこう知れ渡ってるもんかと思ってたので・・・。実際のとこどうなんだろう??)


展示されている品々の地域が、(あえて乱暴ながら民族概念と地域概念を結びつけて言えば)アラブ・イラン・トルコにほとんど集約されているのも気になった。
東は現在の南アジアや東南アジア、中央アジア、そして西はアフリカまでの至るところで、さまざまなイスラーム王権が隆盛したなかで、それぞれの地域固有の要素とイスラームの要素が融合した、より幅広い種類の“宮殿とモスクの至宝”が存在する(はず)なのに、上記の地域のモノに限定されてしまっているのを「イスラーム美術展」とするのにはいささか抵抗を自分は感じる。

もちろんこれらの地域がイスラーム発祥期からその中心、およびその近隣地域であり、イスラーム興隆の歴史においてそれらの王朝が果たした役割も大きく、さらにはヨーロッパでの歴史的な「イスラーム」表象においても、その主な対象となってきた地域ではある、などなど背景に横たわる理由は数多あるんだろうけど。
(それに企画の趣旨が「イスラームの多様性」なるものを紹介する事に置かれているわけではないし、「こりゃオリエンタリズム的本質主義にドタマ毒されとるんじゃ~、ボケぐぁ!」と無闇やたらに批判的につっこむのも的外れだとも思うけど、たしかに。)


それでも世間でまかり通っている「イスラーム=中東」という漠然としたイメージに組し過ぎてるのではないだろうか。
現在の日本において、一般の個々人が海外旅行や駐在、または日本国内で出会った外国人ムスリムなどの個別の窓口を通して実際に接する「イスラーム」の中には、地域的特異性としても実際に個々の信徒が信仰している姿としても、その多様性を多分に含みこんでいると予想されるにも拘らず。

事実そのような先行イメージが祟ってか、展示の中のある部分で展示企画者の意図とは正反対の解釈で観客に見られている場面を、自分が会場にいた時に(展示のどこらへんだったかイマイチ記憶してないけど)一回目撃した。

2つ絨毯が並んでおり、片方はサファヴィー朝のもの、片方はムガル مغل 朝(展示品の説明には「ムガール」と記してあった、他のとこでアラビア語の単語の表記にはこだわっとるくせに、なんで「ムガール」なんじゃい!)のものだった。そして展示の説明書きには地域区分としてそれぞれイラン、インドと記されていた。これをちょうど見てた時に自分が立ってる斜め右後ろ側で、ある熟年の婦人が連れ沿っている旦那にぼそっと一言、「ほらっ、これ、イスラムとインドを比べてんだって・・・」と。「イランとインドを・・・」ではなく。

自分が説明書きから理解した限りでは、同時代に地域的にも近隣した2つのイスラーム王朝のもとでそれぞれ作られた絨毯の紋様のパターンやモチーフのなかに、サ朝→ム朝で影響を受けたものも見受けられるが、後の時代ではム朝→サ朝でも影響を受けるようになった、というような観点での対比がこれらの展示品の意図であったと思う。決して「イスラーム/○○○○(イスラーム以外の何か)」(この場合例の婦人がおそらく想定していたのは「イスラーム/ヒンドゥー教、もしくは仏教(の国インド)」)の対比という構図での並び合わせではなかったと思う。

・・・こういう何気ないところで日本のおばちゃんにまで刷り込まれている認識の枠組みが、ひいてはインドのコミュナリズム問題を根深いものにしているのだろう・・・、ってのは話が飛躍し過ぎだろうか。
(自分でもまとめきれん話になってきたので、もうここらへんで・・・。)


・・・行ってみようという人にとりあえずご忠告、砧公園は世田谷区なのに意外と行きにくい(バスがなかなか来ない!&バス停少し遠い!)と思った。
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by ek-japani | 2005-10-11 09:10 | 考察


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