続・ボージプリー映画
またBBCでボージプリー映画についての記事が・・・。

2005年12月15日:Move over Bollywood, here's Bhojpuri
※12月25日追記:BBC Urduでも同様の記事“بھوجپوری فلمی صنعت عروج پر”を発見。

簡単に言うと、ヒンディー語の下位方言であるボージプリー भोजपुरी で制作される映画がここ最近ヒット作をいくつか輩出し、業界としても活況を呈してる(今年で既に30本ほど=前年の2倍に増加)らしい。
※あと細かい事は以前6月12日“ボージプリー映画”に書いたので、そちらをどうぞ。


このニュース記事でボージプリー映画好況の裏にある要因がいくつか解説されている。

まず1つ目としては、
the film-makers have astutely targeted the Bhojpuri-speaking audience at home and abroad - a substantial expatriate population in places such as Mauritius, Fiji, Surinam and the West Indies.
(※上記のBBC記事より)
というように、かつてボージプル भोजपुर 地方(ビハール बिहार やウッタル・プラデーシュ उत्तर प्रदेश 東部)から世界各地(主に旧英領植民地のプランテーション地域)へ渡っていった国外の移民も視野に入れた、幅広いボージプリー話者層を観客として想定し制作されているらしい。

この点については、以前書いた時には海外にもボージプリー話者が存在するのは知っていたけど、まさかそこまで想定しているほど「グローバル」な配給戦略をボージプリー映画業界が持っているとは思ってなかった。

また同様に、いつも興味深い情報を提供してくれるこれでインディアのところでボージプリー映画の分析(日記2005年10月5日分:“救世主はボージプリー映画”)を読むまでは、国内市場についても少し誤解していた。ボージプリー映画がインド各地で高い興行収益をあげている理由を、国内の非ボージプリー話者(ヒンディー語圏やその近隣の北インド諸言語圏の人々)にも受け入れられているのかと思っていたのだ。
当初自分の頭の中では、「ボージプリー語圏」という「ローカル」な空間を原初的なボージプル地方に限定して考えていたが、ボージプリーを話す人々が存在する場所こそが「ボージプリー語圏」であるならば、当然ながらその「ローカル」さは特定の土地に(観念としてはどかこかで結びついていても)物理的に縛り付けられるものではないだろう。もちろん地元ビハール州でヒットしてるのも事実だろうが、それ以上に国内に点在するボージプリー話者の移民もしくは手稼ぎ労働者コミュニティーの存在が大きいのだろう。


また別の要因としては、
With Bollywood productions increasingly targeting the urban middle and upper classes in India's cities, Bhojpuri directors have cashed in by churning out home-grown local fare.
(※上記のBBC記事より)
というように、映画の題材としてもボージプリーの響きが持つ「ローカル」さを前面に押し出して、ボージプリー映画は制作されているらしい。実際に記事の他の部分で、ボージプリー映画業界の人気俳優ラヴィ・キシャン रवि किशन はボージプリー映画を「家の手作り料理」に例えている。
インドにおいては様々な面で国内の都市部とそれ以外の村落部の格差が増大しているが、映画産業(ヒンディー語映画の場合)の市場としても例外ではない。具体的には映画の題材、またその扱い方に対する2つの観客層の異なる反応として表れ、またその観客の嗜好を見越して映画を撮る制作&配給サイドの思惑との相互作用で格差は広がっている。

特に近頃は(抜粋部分にも書いてあるように)、都市部の比較的裕福な中流~上流所得層の観客向けに映画を制作する傾向が強まってきたヒンディー語映画の業界(この傾向を後押ししている要因としては、①海外における新たな市場;所得の高い在外インド人観客層の存在と、②国内における新たな競争;外国の配給会社の参入、特にハリウッド映画の進出というのが考えられる。)に対抗して、ボージプリー映画では大部分が「結婚」と「家族」という、基本的だが不動の題材にこだわって制作されているらしい。(これからは社会における男女の役割の問題や政治の世界を風刺した内容にも着手していく予定らしいが。)

でもその「ローカル」さってのも、ボージプリーにおける多様な下位方言の中から有力なものが、映画の標準「ボージプリー」として採用されているんだろうから、細分化していこうと思ったらまだ余地はあるんだろうけど・・・。どうなんでしょ、まぁヒンディー語映画やもちろんハリウッド映画などに比べたら、(あくまで相対的にだが)断然「ローカル」な存在なのだろうけど。


そういうわけで、ボージプリー映画が今後どのような展開を見せるか気になるところである。果たして一過性のブームでヒンディー映画の亜流として終わるのか、それとも新たな別の路線を開拓して独自の進化を遂げるのか。


・・・それにつけ加えて、このBBCのニュース記事には触れられていなかったが、前述の『これでインディア』で見た内容に、映画産業の末端部分、つまり映画館への影響についての興味深い考察があった。
ボージプリー映画の隆盛により、おそらく一番の恩恵を被っているのは、都市部の場末の映画館だろう。近年、インドでは都市部を中心に大規模なシネコンが乱立しており、小さな映画館は観客の減少に悩まされ、経営難により潰れてしまう映画館も少なくなかった。だが、それらの弱小映画館たちは、ボージプリー映画という武器を新たに手に入れた。ボージプリー映画はほとんどの場合シネコンで上映されない上、ビハール人を中心としたまとまった数の観客を見込めるドル箱コンテンツとなっている。
BBCのニュース記事にある写真(上から二番目)を見ると、まさ~にそんな感じが漂ってる。いかにもあちこちパーン噛み噛みペッとはき散らかした赤い跡や、チケット窓口や入場口の容赦ない無秩序さが思い浮かぶ、そんでイスが半分壊れかけてればなおの事OK!(ってのはステレオタイプ過ぎ??)だろう。

そこまで「場末」な映画館にはさすがに引くけど、かといってインドのシネコンはあまり好きじゃない。
時間を調べるためだけにわざわざRs.2払って新聞買って30分前から待っていようとも、そこまでたどり着くため既にオートでRs.50使ってても、あまり大衆受けはしなそうだが紛れもない良作であろうとも、自分がいくら見た~くても、観客が全然集まらなければ容赦なく上映しないので。しかもそこで熱烈に「何が何でも観たいんじゃーっ」と食い下がったら、窓口のスタッフにうらでボソッと「ハラーミー हरामी حرامی な奴だわ、うざっ。」と言われた恨みもあるし。(う~ん、話がずれとる・・・。)

まぁ、インドの映画産業全体におけるシネコンの存在はさらに増大していくだろうけど、反シネコンを志すのに十分な個人的トラウマをそういうふうに経験してるので、自分も中小規模の映画館が存続してシネコンの一人勝ちにはならないのは嬉しいところだ・・・。


☆おまけ
 ボージプリーって、実際に文章をデーヴァナーガリーで書くとこんな感じらしい。
 (リンク先:ムンバイー在住の元?自称?ジャーナリスト、シャシ・スィン शशि सिंह 氏のブログ)
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by ek-japani | 2005-12-19 18:05 | ニュースより


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