先週国際交流基金フォーラムで開催されてた“アラブ映画祭2006”に行ってきた・・・。
観てきたのは『忘却のバグダッド』というドキュメンタリー映画。 『Forget Baghdad: Jews and Arabs - The Iraqi Connection』 訳題 『انسى بغداد 』(アラビア語) / 『שכח הבגדד』 (ヘブライ語) スイスで育った在外イラク人の監督は、この映画の中で同じイラク出身のアラブ系ユダヤ・イスラエル人の人々に対してインタヴューを行い、その中で語られる彼ら自身が20世紀の間に辿った道筋を通して、現在の「パレスティナ問題」における「アラブとユダヤの対立」のような単純化された図式に潜む虚構を浮かび上がらせている。 以下の5人の著名なイラク出身ユダヤ・イスラエル人たちへのインタヴュー映像と、それと交互に挿入される過去のニュース映画や娯楽映画の映像を中心に映画は進行していく。 ・Samir Naqqash ・Sami Michael ・Moshe (Moussa) Houri ・Shimon Ballas ・Ella Habiba Shohat この5人のうち最初の4人は監督の父親と同世代であり、また監督の父親と同様に過去20世紀前半のイラク国内で、帝国主義に対する反植民地運動の一環として社会主義運動に参加(お互いに当時からの知り合いというわけではない。) していた。当時のバグダードで社会主義者に対する政府の弾圧から逃れて回る過程では、まだ彼らが「ユダヤ人」である事と「イラク人」「アラブ人」である事について多くの人が疑問を持たなかった。だが、形式だけのイギリス委任統治からの「独立」、シオニズム صهيونية ציונות 運動の高まり、軍部のクーデター、イラクでのユダヤ人弾圧暴動(「ファルフード فرهود 」)などの事件を経て、徐々に「イラク人」「アラブ人」である事から排除されていくようになっていった。 それが決定的になったのは、第二次世界大戦終結後のイスラエル建国と第一次中東戦争、それに伴う反イスラエル主義としてのアラブ民族主義の高揚である。もはや祖国イラクに留まる事は自らや家族の身の危険に繋がるまでに状況は悪化し、ほとんどが望まぬイスラエルへの移住を余儀なくされた。 イスラエルに移住した彼らを待っていたのは、日常生活の様々な局面に張り巡らされたイスラエル支配体制からの文化的な同化圧力、それと同時に直面する制度的、また社会的な差別であった。そのような中で、かつてイラクで体験したように、再び「母国」においても「イスラエル人」「ユダヤ人」である事から排除され、二重に周縁化された立場へと追いやられていった。 とくに、現在イスラエルで有名な文化人になった4人の中で一番若く、唯一現在もアラビア語で著作活動をしている小説家・劇作家サミール・ナッカーシュ סמיר נקאש صمير نقاش 氏(本作に出演後、2004年死去)の体験にその周縁化された状況が色濃く反映している。彼はエジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズ نجيب محفوظ からも賞賛されたにも関わらず、著作はヘブライ語にも英語にもほとんど訳されておらず、イスラエル国内はおろか、どのアラブ諸国の出版社からも著作出版の声がかからない。また、アラビア語の手紙を長距離バスの中で読んでいたら、検問所で隣の乗客に「こいつアラブ人だぞ」と告発され、いわれの無い取調べを受けるはめになった経験も映画中で語っている。 このような親の世代の苦境を見ながらイスラエルで育った第2世代の体験が、残る一人エラ・ショハト女史によって語られる。 現在はニューヨーク市立大学でカルチュラル・スタディーズを講義する研究者である彼女は、欧米の映画における「ユダヤ人」「アラブ人」やイスラエル映画におけるミズラヒム מזרחים (「東洋系」ユダヤ)などに共通するステレオタイプ的な描き方(この映画中では、過去のいくつかの映画における「砂漠に住む(住んでた)アラブ人」という偏見が指摘されてた)、また過去のイスラエル映画のストーリーに潜む、ミズラヒムに対するアシュケナズィム אשכנזים (「西欧系」ユダヤ)の同化主義的な姿勢について、などを分析・批判してきた。 (それぞれ「東洋系」「西欧系」という訳語がどこまで適切かは疑問の余地があるが、とりあえず字幕ではこんな感じの訳語だった、とうろ覚え・・・。) しかし、ショハト女史はイスラエルで過ごした幼少期の体験を淡々とした笑顔で語る。家の外で使うヘブライ語にアラビア語の単語が混じらないように注意し喋らなければならなかったり、アシュケナズィ系の同級生から「臭い」と言われた○○○(?具体的な名前忘れた・・・。確かアラブ圏でよくある食材。)のお弁当を学校に持っていく前に毎朝途中でこっそり捨てたりという話を、である。 さらに年齢が上がるにつれ、自己の内における問題は深刻になっていく。学校や家の外の社会で示される「あるべきイスラエル人」像を内面化し、それに同化しようとするが同化しきれない状況へのジレンマは高まり、自分よりもさらに同化しきれていない両親や祖父母の否定、ひいては「イラク人」「アラブ人」である自己をも否定しなければならず、そんな自分の感情からくる両親への罪悪感など様々な葛藤に苦しんだ(と話の内容から予想)。 ショハト女史が青年になると、同じミズラヒ系イスラエル人の若者たちの間で当時活発になってた「ブラック・パンサー הפנתרים השחורים 」という、アシュケナズィムが占めるイスラエル支配体制に対する社会的な抗議運動にも参加した。 その後は研究者として、表向きには隠蔽され支配体制側が認知しようとしてこなかった差別構造を告発し、一貫してイスラエル政府を批判するようになる。それは一冊の映画史に関するショハト女史の本が出版された時に決定的となる。このドキュメンタリーでは、出版直後にイスラエルのTV討論番組に出演した時(80年代前半頃か?)のビデオを見ながら、現在の彼女自身が番組収録時の状況を解説している。ビデオの中でアシュケナズィ系の司会者は、彼女が論証だてて説明しているイスラエル社会の差別構造について当初一貫して信じるどころか横柄な態度でまともに聞こうともしなかったが、突然スタジオの観客に向かって「差別なんて実際あると思いますか?」と問いかける。司会者はおろか、当時の彼女自身も予想しなかった事だが、ミズラヒムの観客の多くが「差別はある」と声を上げ始めた。その途端、司会者は突然の思いがけない答えにあからさまに動揺し始めた。現在の彼女が言うには、「この番組で初めて差別構造の存在がイスラエル国内で公に語られた」とのこと。 その後アメリカに移り住み、家族も呼び寄せニューヨークのイラク系ユダヤの集住地域で暮らしているそうだ。 この映画の5人の語り手のなかで、全体的にショハト女史の占める比重が特に大きい。なぜなら他の4人と異なり、「イスラエル人」「ユダヤ人」の枠組みから「アラブ人」として周縁化されるという困難な状況に幼年期から置かれ、自己アイデンティティ形成のためにより複雑な道程を辿らねばいけなかったからだろう。 育った「状況」が一度は彼女に否定する事を余儀なくさせた家族や自分自身。それらを再び取り戻すためには、研究によってその「状況」を相対化する事やイスラエルを離れる事が必要だったのかもしれない。だが、前述の子供時代の記憶をカメラに向かって語るシーンでは、意識的にか無意識にか、彼女は笑顔を保とうとしてるように見えた。いくら大人になった自分自身を理論で納得させたとしても、当時の記憶の中に残る、日常の些細な、しかしながら根源的な部分で自己を否定された「感覚」までは理屈で読みかえる事は不可能なのだろうか。 (この点は個人的な思い入れを多分に反映してる可能性高いとも思うが、とりあえず鑑賞中はそんなふうに見えた。) もう一つ。 このドキュメンタリー映画の視覚的な効果として、英語・アラビア語・ヘブライ語の「字幕」が頻繁に映し出される。しかも、それらの言語の3種類全ての「字幕」が常に表示されるわけではなく、一見ランダムな感じながらも、意図的に表示する文字の種類を選択しわけている。つまり、「字幕」の違いによって映画の場面ごとの「文脈」のようなもの暗に観客に示そうとしているような印象を受けた。 この「字幕」は主に3つの用途で使用されている;①次のシーンへ切り替わった時に新たに映し出される撮影場所や登場人物の名前、②語りの中に含まれる特殊な用語、③語りの内容を理解するためのキーワード、である。①②③の場合ともに、タイプライター風の字(上のHPの画像上のタイトルみたいなの)で表示される「字幕」は基本的に英語+アラビア語/ヘブライ語の両方(もしくは、たまにどちらかだけ)でぼんやりと浮かび上がって消える。 それだけなら単なる「字幕」の域を出なかったかもしれないが、②③の場合ではさらにストーリーのところどころの要所で、大きなサイズ&しっかりした書体のフォントで「字幕」(←左の写真が1例;多くがアラビア語のみ、ヘブライ語もたまにあった気がする。)が次々と画面上の背景を横切っていく。画面上の登場人物が話しているアラビア語は自分には理解不能だったが、まるでこの「字幕」を見ているとその「言葉」が自分の中に流れてくるような感覚をおぼえた。 監督がこれらの「字幕」を用いた意図としては、登場人物らイラク系(や他の多くのアラブ系)ユダヤがイスラエルで生活する様々な場面で置かれた周縁的な立場を、言語の面から特に強く表現しようとしているのだと思う。 まずイラクで、「アラビア語話者」=「アラブ人」(つけ加えて「アラビア語イラク方言話者」=「イラク人」)=「ムスリム」である、という図式で人々の意識の中に徐々に形成された「条件」から排除されていき、続いてイスラエルでも、「“標準的な発音の”ヘブライ語話者」=「“主流派の”イスラエル人」=「ユダヤ人」である、という図式で暗に定められた「模範」からたびたび排除された。 このような「言語」と「民族」「宗教」の帰属意識における問題は南アジアの状況にも通じるテーマだと思う。なので映画のこの点をクローズ・アップする「字幕」効果が特に興味深く感じた。 近代的な帰属意識が形成される過程において、人々のアイデンティティの拠り所となりうる事物の境界線がありとあらゆる所で明確に設定されていき、ある特定の言語を話す人々の属性やそれらの人々と言語自体との境目がほぼ同一視されてしまう。しかも、それがさらに現実の社会にも実体化していった時に、その枠組みからはじき出されてしまう人々には多くの問題が降りかかってくる。 このような現象は、この映画の中で登場した5人が自らの経験についての語りを通じて明らかにしたように、イラク系ユダヤ・イスラエル人を取り巻く様々な局面でも起きていった。とくに、彼らを取り巻くアラビア語 العربية /ヘブライ語 עברית の関係は、ヒンディー語 हिन्दी /ウルドゥー語 اردو をめぐる政治的な関係に近いものがあるように思えた。とりわけ「言語」の境界が文字によって明確に視覚化され、それが帰属意識(や、時に敵対感情も)の対象となる点など。 (もちろん、アラビア語/ヘブライ語の間の言語それ自体としての関係は、決してヒンディー語/ウルドゥー語ほどには「同一」なものではないはずだが、もとの音韻や文法なんかの点では文字の違いからは想像できないほど近いはず、きっと。・・・と漠然とした予想しかできないのが無念。) ※※※ ちなみに、今回ヘブライ語については文字の入力やカタカナ表記のためにウィキペディアのページを参考にしたのだが、いくつかの単語で「長母音は区別するの?」な疑問が生じた。(だって 【アシュケナジム】のページには「~は“アシュケナージーム”ともいい・・・」と書いてある割には理由が書かれてないし・・・。) 英語版 【Hebrew Language】-“Dialect”項によると、このカタカナ表記の違いの原因になっているのは現代ヘブライ語における発音偏差によるものらしい。ヘブライ語が現代イスラエルの公用語として「復活」する過程で、ドイツ語やスペイン語など欧州系の言語がベースにあるヘブライ語話者の発音が「標準」とされたためで、そのような「標準」現代ヘブライ語では長母音や咽頭音「ע」(アラビア語の「ع」などでの喉を絞める音)の区別がされなくなったようです。 というわけで、ヘブライ語の単語表記には今回「ー」をいれませんでした。 (ただ、この映画に出てきたようなアラビア語がベースのヘブライ語話者の発音には区別が残されているようなので、カタカナ表記する際なんかややこしい話だ・・・。この点についてはヘブライ語専攻とかじゃなくてよかった・・・。)
by ek-japani
| 2006-03-16 10:58
| 映画
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