アズハル・ウスマーン
c0072728_2342120.jpg最近アズハル・ウスマーン अज़हर उसमान اظہر عثمان が気になる・・・。

こういうコメディアンがアメリカにおるのは以前から知ってたのだが、最近ふと公式サイトを見つけ、さらにYouTubeでいくつか動画を発見してからというもの、誰か新しいの上げてないか確認がてら、ちょくちょく息抜きに見てしまいます。あとGoogle Videoでもいくつか発見。

残念ながら自分、肝心のオチの部分が聴き取れなくて置いてかれる場合がほとんどなのだけど・・・。まぁ動画だから何回でも見れる、と思いきやわからん事がやっぱり多し、無念。
(オチの部分は特に畳み掛けるように早口で言ってるのもあるんだろうけど、何かアクセント?自分的に聴きなれない響きの英語、と言い訳を残しておく。)


そんな乏しい理解程度ながら、何か知らんがこのネタ(02:08~)には反応した。ヒンディー語やウルドゥー語などで「明日」と「昨日」(「カル कल کل」)、「明後日」と「一昨日」(「パルソーン परसों پرسوں」)がそれぞれ同じ単語を使う、な~んて事まで笑いのネタに。その使い分けに慣れて何の疑問も新鮮さも感じなくなってる人にとっては「あぁ、そんで?」な話なんだが、あの声と風貌とリアクションにかかると何だか知らんが不覚にも笑ってしまった。

他には、各国出身ムスリムの「特徴?」をコミカルに演じ分け笑いを取ってるネタ(01:53~)なんか分かりやすいですな。


c0072728_229221.jpg観客が自分と同じムスリム(もしくは南アジア系)だろうが、それ以外であろうが、いろんなバックグラウンドの観客に、いろんな方向からのネタで笑いをとってるようだ。
少し意外なのは、彼自身の属性(「ムスリム」であったり「南アジア系アメリカ人」であったり)が戦略的本質主義な感じでネタとして前面に出てくるわけではなさそうな点。むしろ現代アメリカの日常風景として起こりうる、ささいなカルチャーショックの瞬間をコミカルに描き出したネタなんかが多いのかな。(少ししか観てないので、違ってるかもしらんけど・・・。)
そういうカルチャーショックは方向付け次第で容易にステレオタイプへと転化しやすいが、「新たな隣人」としてのムスリム・アメリカ人に対して主流派アメリカ人の側で形成されるそのような漠然とした「戸惑い」を、巧みに流用して戯化してしまうとしたら、何かすごい人物なのでは。


何かしらの集団を「差異」に基づいて「笑い」や「風刺」のネタにする行為は、下手すると(もちろん、最初から悪意があって、の場合も少なくないだろうが)一方的な力関係を背景にした「表象の暴力」に陥いったり、さもなければ今の世相として「不適切な表現」と各方面から非難を受ける可能性も少なくないだろう。
かといって、そんな状況で「タブー」化が進み、公然と語りづらい硬直した雰囲気になってくると、ある日堰を切ったように「表現の自由」とかかんとか理由つけて極端な動きも出てきてしまうと思うので、うま~くバランスを取ってすり抜けるような「笑い」が世の中の適度なガス抜きとして必要でしょう。
特に、ここ数年の「イスラーム」とか「ムスリム」とか、その扱いを巡って硬直した雰囲気があちこちで高まってきてるからこそ、こういうトリックスター的な存在はますます必要なんでしょうなぁ、ほんとに。


今回の結論としては、「マイノリティー」による「笑い」を通した既存の支配的秩序への申し立て、その抑圧的な状況を変えるための具体的実践について考えさせられる、という意味でおもしろい人物というか現象というか。
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by ek-japani | 2006-08-31 02:46 | 考察


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