30 days: Outsourcing in India
知り合いに教えられて先程ここで見てしまったのですが、こんなのが放送されてたんですね。
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アウトソーシングによって職を奪われたアメリカ人プログラマーが、自らの職が流れていった場所インドのバンガロールで、実際にアウトソーシングされた業務を行うインドの人々と30日間一緒に過ごすという内容。

まぁ、スラムのゴミゴミした光景ときらびやかなショッピングモールの対比とか、街中のモノ乞いなどを目にして「目覚め」たり、よくありがち?な展開の部分もありましたが、海外向けコールセンター業務に宿命の夜型労働シフトによる家庭への影響とか、そこで働こうという若者が受講する「米語」式発音トレーニングとか、一般的なアメリカ人視聴者に対して作り手がどういう点を見せようと意図したのか考えると面白い部分もありました。


なかでも、主人公のアメリカ人がホームステイする、典型的な「中間層」家庭における若い夫婦の間に起きつつある変化が後半クローズアップされている感じです。具体的には、夫に遠慮しながらも夫と同じようにコールセンターで働く事を希望する若い専業主婦の妻と、それに対して妻の意思を尊重したくもあるが同時にいつも家にいて欲しいという夫、2人の葛藤が前面に出てきます。
夫のほうは「妻は学もあるのだから働こうと思うのは当然、特に僕が選んだ素晴らしい業界なんだからね」とオフィスで主人公に話して一見寛大な風に強がっていながらも、別の時には妻が主人公にアメリカ式発音を教えてもらってる場にやってきて、「僕のチャーイを作っておいてくれてない」とネチネチ文句を言い、大人気無く「きっと面接に落ちるぞ」とまで言い放つ始末です。上手いこと分かりやすく自己矛盾してくれてます。

このような「専業主婦」規範の強固さを1950年代のアメリカの状況に、またオフィスで働こうとする女性の増加を1970~80年代のアメリカの状況に主人公はなぞらえていますが、まぁ「実感としてそう思える」「そう考えると分かり易い」という点は否定しませんが、こういう「~十年前の***と同じ」みたいに単純な時系列的にはなるべく並べないで状況を伝えるのって番組制作側としては難しいんですかね。確かに同じような変化が起きてる部分も極めて多いのだろうけど、逆にそれが同じ「ような」だけで実際微妙に(もしくはけっこ~)違うかもしれない部分を考えづらくさせるのじゃないかとも思いますが。(あ、でもそれだとあんまり視聴者の共感をよばなそうなので、何とも番組の趣旨から外れてしまいますか。)


ちなみにカンナダ語映画のカリスマ俳優、ラージクマール ರಾಜ್‌ಕುಮಾರ್‌ の死去に伴って暴動が起きた時の話も後半のハプニングとして出てきます。その頃に撮影してたんですね。
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by ek-japani | 2007-07-23 01:03 | テレビ


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