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반두비 বান্ধবী
最近レンタルDVDでこんな韓国映画を観ました。
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原題:バンドゥビ 반두비/Bandhobi/বান্ধবী (2009年 韓国)


出稼ぎバングラデシュ人労働者の青年カリムと韓国人の女子高生ミンソがひょんなことから出会い、お互いがそれぞれ抱える不安や寂しさを埋めあうように惹かれあいながら、友情とも恋愛ともつかない関係を深めていくというストーリーです。


国民所得増加や生活物価上昇、社会の高学歴化などにともない発生する低賃金単純労働力の不足。日本も80年代半ばのバブル期以降に外国人労働者の大量流入という形で穴埋めがなされ、これらの人々の存在が社会において顕在化しましたが、お隣の韓国でも外国人労働力に頼らざる得ない状況は同じようです。とくに、かつての日本の状況と同じように、近年まで相互ビザ免除協定があったために南アジア諸国からの出稼ぎ移民ではバングラデシュ出身者が多いようです。


計画倒産した前雇い先の賃金不払いや、ビザ失効後に以前よりも低賃金で再雇用するなどの経済的搾取のほか、バスの座席や釣銭受け渡しの際の接触忌避など、バングラデシュ人の青年が日常で遭遇するそこはかとない差別的待遇も描写されてたのが印象的です。

また、シングルマザーの母親と団地で暮らす主人公の少女の閉塞感も身に迫ってくるものがあります。とくに、帰宅すると母親がヒモ同然な無職の恋人を家に連れ込んでるとか、自室に逃げ込んでも声が壁から漏れ聞こえてくるとか、とくに多感で潔癖な時期の少女にとって耐え難いものがあると思います。
また、学校の友人と表面上付き合いを合わせてても、夏休みの英会話学校に同じように通うことも家の経済事情から容易ではなく、そのために結局年齢を偽って風俗のアルバイトまで始めるのですが、その店で「他にもたくさんの女の子が留学資金をためて外国へ出て行った」というような話も語られるのが衝撃的でした。


このように主人公二人を通じて様々な社会状況も断片的に描かれますが、その点はあくまで二人が接近する背景としての描写程度にとどまり、批判的色合いはそれほど前面には押し出されていません。
ただし、IMF金融危機以降に増大した所得層の二極分化や非正規雇用増大による雇用不安など、現在好調な輸出型経済の陰で蔓延する低所得層・若年層を中心とした韓国社会の鬱屈した空気が劇中のそこかしこから漂ってくる感じがしました。


あと、しいていえば主人公の「途上国出身者」や「ムスリム」といった他者性が、ところどころで自社会批判のための都合のいい材料として用いられているような印象が無くもないのですが、そのような異質な他者との出会いや互いの差異を越えた心の交流を通じて、いかに主人公の少女がこれまでに内面化してきた価値観を相対化し、新たな自分の人生を歩みだしていくのかという点がストーリーの核心だと思うので、とくに気になるほどの欠点というわけではなかったです。


ちなみに、昨年末から各地で映画祭上映された時はタイトルが「ソウルのバングラデシュ人」だったらしいので、DVDリリースにともなう邦訳改題は正解だったと思います。(DVDジャケの「何でも出来る少女と何も出来ない男が友達になる!」のあおりは全く意味不明で不要だけど・・・)。
ただ、「バンドゥビ」って、「ボンドゥ বন্ধু」の女性名詞型?(ベンガル語に文法性は無いのですが、便宜的に)だから、「僕たちは」というように男女の友人同士について用いるのは元のベンガル語の語義からしてOKなんでしょうかね。
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by ek-japani | 2011-08-28 14:21 | 映画
세 얼간이
こないだ韓国に行ってきたのですが、帰りぎわに金浦空港併設のショッピングモールのシネコンでこんなのを見かけました。
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なにやら「3 Idots」が8月18日から韓国で劇場公開(韓題「セ・オルガニ 세 얼간이」)されるようです。

映画のチラシはこんな感じ。
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삐뚤어진 천재들의 세상 뒤집기 한판
(歪んだ天才たちの世界を反転勝負)

일류 명문대, 천재공학도들의 유쾌한 반란
(一流名門大学、天才工学徒たちの愉快な反乱)

<아바타>를 제압한 인도 흥행수익 811억!
(<アバター>を制圧した インドの興行収益811億!)


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역대 영화평점 1위! 811억원 흥행수익!
대한민국을 뒤집을 2011년 최고의 화제작!

(歴代映画評価 1位! 811億ウォンの興行収益!
韓国を覆す2011年最高の話題作!)

※ほとんどグーグル翻訳によってるので韓国語訳へのツッコミはご容赦を・・・。


また、同ショッピングモールの書店ではこんなのも見かけました。
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チェータン・バガト著の原作本「Five Point Someone」も今回の劇場公開にあわせて翻訳出版されたようです。


今回の韓国での配給決定の要因として、もちろんインド国内外での記録的興行成績もおそらく当然あるんでしょうが、やはり、既存の教育制度やそれを下支えしている社会全般に対する批判的なこの作品の内容が、おなじように学歴重視の風潮が強く、受験競争も苛烈な韓国社会に対する問題提議なり、何かしら自国の観客にアピールするものがあるだろう、というような目算が韓国の配給会社側にあったのでしょうかね。

だとしたらの仮定で話を進めますと、(たまたま自己内省的な目的にたまたま合致した作品だったとはいえ)同時代的な視点から選別された作品が、他国の現地人観客層を当て込んで一般公開にまで漕ぎつけられたという点は、インド映画の国外配給の事例として注目に値するのでは。
日本の一時期の「インド映画ブーム」のようなものが韓国でもあったかどうかは不明ですが、もしインド映画について配給側や観客のほうでイメージが定まっていない状況だとしたら、その点では日本よりもむこうのほうが配給会社にとって制約が少なく、より幅広い方向性の作品を紹介しやすい状況だったりするのかも。


あと、以下は個人的な勝手なぼやきですが、渋谷や銀座あたりのミニシアターで再び何かしら劇場公開してくれんもんでしょうか。比較的新しいインド映画作品が日本に紹介される機会として映画祭やDVD販売による邦訳版公開も決して小さいものだとは思いませんが、やはり劇場一般公開されるのに比べると話題の広まりや観客動員規模の上では明らかに劣るかと。
また、娯楽体験としても、DVDや最近流行のネット経由での動画視聴も新作がいろいろ見れて便利なんですが、たまには映画館の画面と音響とその他もろもろの空気感のなかでじっくり観賞したくもあります。
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by ek-japani | 2011-08-07 16:41 | 映画
あえて訳せば「優子さん」・・・?
なにやらこの映画、『メヘルジャン মেহেরজান Meherjaan 』が気になります・・・・。

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個人的にはヴィクター・バナルジーの老練な渋い演技が見たいのですが、上の画像の通り主役メヘルの老年期の役をジャヤー・バッチャンが演じてますし、インドの他にもパキスタン、そして当然ながら制作国バングラデシュの名優が数多く出演しているようです。

この南アジア三カ国名優共演の話題性もさることながら、作品自体がバングラデシュ国内で大きな論争を巻き起こしており、今年1月24日にダッカで公開されてわずか一週間後には抗議を受けた配給会社側の判断によって上映中止に至った問題作ということで、既にここ数ヶ月の間にインドやパキスタンのメディアでも少なからず話題になっていたようです。
(とりあえずウェブで拾えたところでは、Times of IndiaDawnPakistan Today など。最近になってBBC でも。)


映画では、1971年のバングラデシュ独立戦争の渦中において数多く発生した、敵側兵士による女性への性的暴行とその後の禍根*1 が主な題材として扱われているようです。しかし、今回この映画がとくに大きな反論を呼んだ原因は、その題材ではなくむしろその描き方、とくに主人公のベンガル人女性メヘルが敵側の西パキスタン軍兵士との恋に落ちるという、ある意味スキャンダラスな設定にあるようです。

上述のニュース記事などでのルバイヤト・ホセイン রুবাইয়াত হোসেন*2 監督の発言によれば、独立戦争に関して善悪二元論に硬直した描き方に対して疑義を差し挟もうという明確な強い意図があったようですが、40年近い時間が経過したとはいえ、やはり交戦国に対する当時の戦争犯罪の責任追及が今も進まないまま現在進行形の政治問題*3 であり続けている以上は、監督の意図に対して否定的な社会の反応もやむなしということなのでしょうか。それとも現在の国内政治状況のなかスケープゴートにされてしまったんでしょうかね。



映画の具体的内容や論争の背景などについては、EPWに先月載ってたこの論評が特に詳しかったです。この戦争中の集団暴行の問題について調査してきたナヤニカー・ムカルジー नयनिका मुखर्जी というインド人研究者によるものですが、彼女自身の専門分野からの十分な解説がなされており、いろいろと興味深かったです。

あまりにも暴行被害女性の数が多かったせいなんでしょうか、同論評によると、早くも戦争終結直後の1972年には公的に「ビランゴナ বীরাঙ্গনা birangona」、戦時下に苦難を耐え忍んだ勇敢な女性として賞賛をこめてそう呼び習わされるようになり、これによって暴行被害の事実が「キズモノにされた」的な汚名ではなく「戦時における負傷」的な名誉の証として(ある種強引に)読み替えられ、女性たちの社会的地位回復が図られることになったそうです。また、新生政府の政治的需要ともあいまって、このように独立建国の神話と関連づけられたナショナリズム的な描かれ方が、これまで独立戦争時の暴行被害女性を扱ってきた文芸や映画など一連の芸術作品において主流となってきたそうです。

敵側兵士を良心的な人物として描くことやそのような登場人物との恋愛沙汰などは、上記のようなビランゴナ像からの「逸脱」であるがゆえ、また既存の公式見解とは相容れないものであるがゆえ、独立戦争を戦った元兵士を中心とするナショナリストの男性陣営からの猛烈な反感を呼んだようです。さらにそれだけでなく、実際に当時暴行被害に遭った著名な女性彫刻家などビランゴナの女性陣営からも、悲惨な被害事実を忘却ないし矮小化するような試みだとして怒りの声が上がっているようです。


論評では、いくつか近年の他のビランゴナ・ジャンル作品とも比較しながらこの映画についての評価が下されています。この作品に関しては、いささか不備な点も多々あるものの、当時の女性の有り様や社会状況などについて、より細かいニュアンスを描きこもうとしている点がおおむね高く買われているようです。とくに、もう一人の中心人物ニラ নীলা Neela *4 の描き方に多く注目が寄せられています。

ニラは、暴行被害に遭ったのちに女性部隊の一員として独立運動に参加していくという、いわば既存の語りにおいて典型的な二種類のビランゴナ像(受動的な被害者/能動的な女性闘士)を踏襲したような役どころで、前者から後者の局面への移行という、多くのビランゴナが実際に辿った経験を反映しているようです。こちらの女性像は、一見するとそれほど既存の描き方から逸脱していないゆえ主人公メヘルと敵側兵士との恋愛のようにとくに表立って問題視されていないものの、味方側の男性によるビランゴナ女性に対する性的搾取などの、非戦時下における女性への構造的な暴力という重要な問題点を示唆するものとして評価されています。
(ちなみに主人公メヘルのほうは、正確に言えば「ビランゴナ」とはならないようです。どうやら、あわや暴行の憂き目に遭うところを同部隊にいた敵軍兵士に助けられ、それによって逃亡兵となった兵士との恋仲を家族に知られたために家族や社会から遠ざけられてしまうようなので。)


そのほか細かい話ですが、パキスタンや北インドのムスリムの名前に多い「カーン خان」が蔑称として用いられるという点がとくに個人的に興味深かったです。同論評のなかでも、映画のセリフに出てくる言葉として、残虐な西パキスタン軍兵士を指して「カンセナ খানসেনা khansena」、それらの兵士の手が触れた(暴行された)という意味あいで「カネラガ খানেলাগা khanelaga」といった表現が言及されていました。
また、メヘルが恋に落ちるパキスタン人兵士がバローチーという設定なのも何だか象徴的ですね。この選択についても同論評によれば、パンジャービー部隊と比較して相対的に悪評が少なかったことなど、実際に現地の通説に則しているようですが。




・・・最後に蛇足ですが、関心が薄かったせいもあってベンガル語圏の事象はスルーし過ぎてたかと反省して?ちょっと白水社のエキスプレスを開いてみたりするなど、自分の中でにわかにベンガル語ブームが起きそうな予感がふつふつと。しばらくマイブームに乗ってちょいちょい復習でもしてみようかと。

しかも、近頃こんな話も出てるようですね。あなビックリですが、多々納得なことも然り。やはり世相の変化が後押ししてるんでしょうか。合弁子会社を設立させた某企業をはじめアパレル業界の生産拠点の移転先として、はたまた今後拡大の可能性を秘めた潜在的巨大市場として、いろいろとバングラに対する経済的関心が日本でも高まってますし。とりあえず依然としてあくまで構想の段階のようですが。

※追記:なんでだか謎ですが、「मेहर」が頭の中で勝手に「महल」と誤変換されてた模様です・・・。「मेहरबानी」の「मेहर」なんだから・・・。というわけで記事タイトルもこそーり変更。



*1:同じような女性に対する集団暴行は、印パ分離独立時において住民の間での略奪殺戮とともに数多く発生しており、この時期の混乱状況を扱った歴史社会研究や文学作品におけるテーマとして欠かせない位置づけを占めていますが、いかんせんこっちの独立戦争時の出来事については寡聞にしてほとんど知りませんでした。
ただ、南アジア地域(に限りませんが、この地域において顕著ということで)における女性の位置づけ、とくに生殖能力や集団再生産との関連から付与される象徴的重要性などの文化的背景、そして、それゆえときに女性への辱めが集団間抗争において効果的な攻撃手段として実行されやすい社会状況などなどを勘案すると、そのような歴史的暗部の存在自体やこの映画に対する感情的反応などについてさもありなんという印象ではありますが。

*2:どーでもいい話ですが、ベンガル文字表記では「ホセン হোসেন」になってしまうんですね。バングラナイズされたムスリム名ってどうカタカナ表記したもんだか・・・。
そのほかヒンディー語などと共通する単語でも、如何せんどうも音韻規則の異なる場合が多いので戸惑いますな・・・。

*3:この点では、とくに右派政治勢力からの猛烈な批判に晒されているあたり、東アジア諸国での歴史論争を想起させるものがありますな。状況は異なれど相似形の歴史の暗部に切り込んだ問題作とかなんとか売り込めば、日本でもどこか東京か福岡あたりの映画祭で上映してくれんもんでしょうか。ぱっと見て「第三世界」「女性監督」「女性問題を扱った社会派テーマ」といった表面上の要素だけ並べてみても、映画祭受けしそうというか・・・。

*4:この名前もベンガル語読みにしたら、二音節と短いので「ニーラ」とでもしたほうが妥当なのだろうか悩みます・・・。

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by ek-japani | 2011-04-22 22:45 | 映画
फ़िल्म "गिद्ध" और・・・
先月末にこの映画がBSで放映されてたので録画して先ほど見たのですが、感想はさておき、このブログ的には途中で変なヒンディー語のセリフが挿入されてることだけ書き残しておこうかと。

映画の終盤(4分の3過ぎくらい)の、株式市場の大暴落による混乱が連鎖的に世界中へ波及していく様子が端的に表現されている短い場面ですが、後ろに金色のガネーシャの神像を飾っているインド人と思しき投資家が「अरे, नहीं , आज सबप्राइम लोन की, ????(रियाज़?) की मिक़दार में बहुत रो(?) रही है」とか言っているセリフが。(細かい部分で聞き違いや勘違いもあると思いますが、だいたい「サブプライムローンが暴落して涙目 つД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚」ってなセリフっぽいです。)
しかも混信気味にいろんな音声が重なり合わさってるなかで急にそのセリフがフェードアップされてるもんだから妙に印象に残りますが、どうにも素人が精一杯演技してる感が濃厚で微妙な調子でもありました・・・。




・・・・・ここまで書いてみて自分でもあまりに内容的に「で?」な話題かと反省したので、全く関係ありませんが、近所の桜スポットの風景で今日のところは無理矢理〆ます。
では良き春の日を~。
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गुलों में रंग भरे बाद-ए-नौबहार चले
चले भी आओ कि गुलशन का करोबार चले

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by ek-japani | 2011-04-10 02:22 | 映画
映画祭で「ラーヴァン」
かな~り今さらな話題ですが、今年の東京国際映画祭でインドの作品は「ラーヴァン रावण」が上映されるんですね。

ここ数年ずっとヒンディー語映画の最新作をやってくれるようになったのは嬉しいですな。やはりDVDでばかり見てるところに、たまに映画館の音響(自分としては大画面よりこっちが重要)で鑑賞すると新鮮な感動がありますし。でも見に行くかどうかわかりませんが。

・・・で、映画祭ウェブサイトの作品紹介ページもさきほど見てみたのですが、あらすじが日本語的にちょっと???わかるようなわからないような、何か変な翻訳調だとおもったら、おそらく製作会社側がよこした英語のシノプシスのほうをもとに映画祭側が訳したんでしょうね。もともと英語のほうが映画の本筋を知らないと少し理解しずらそうな文章になってるし、けっこう苦心して訳したんだろうとは思われますが。

以下、不毛な粗探しです・・・
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by ek-japani | 2010-09-28 00:24 | 映画
द कोव
何やら論争を巻き起こしているこの映画、知人の持っていた海外盤DVDを鑑賞させて貰う機会が先日あったので、以下いくつか断片的な感想をば。

注:今回無駄に長いです。
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by ek-japani | 2010-06-15 00:32 | 映画
らーじにーてぃ
6月初に公開予定とのことだけど、いやー、この映画かな~り見たい気分です、プラカーシュ・ジャー監督の5年ぶりの新作。
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この監督の作風(といっても2000年代以降の2作「ガンガージャル गँगाजल」と「アパハラン अपहरण」しか見たことありませんけど)、ちょっと一昔前の日本の任侠映画的な、剥き出しの暴力やら犯罪やら権力闘争やら、その他もろもろの人間の生身の欲望に満ちてドロドロした雰囲気でかなり好きなのですが、そんなわけで今作も期待。

今回の題材は、ずばりタイトルの通り、インドの民主政治。白熱の選挙戦における各政党代表や立候補者など様々な人間模様を、マハーバーラタ風にそれぞれの葛藤やら思惑やら理想やら行動やら複雑に絡み合う壮大な群像劇に仕立てあげたようです。

群像劇だけあって主演俳優も今回はかな~り豪華です。ナーナー・パーテーカルやナスィールッディーン・シャーなど円熟した個性派俳優の取り揃えも豪華ですが、ほかにも若手俳優では特に最近調子アゲアゲなランビール・カプールとカトリーナ・カイフや、最近少し演技に味が出てきたアルジュン・ラーンパールなど、わりと旬な俳優も登場するようです。そんでもって、この監督の映画に近年欠かせないアジャイ・デーヴガンが今回も当然主役の一人として出演。(あ、サングラスかけて髪型もなんか雰囲気変わってて見落としてましたが、最近あまり映画で見かけなかったマノージ・バージパーイーも。)


でも、こういう種類の社会派リアリズム的な要素の強い(といっても、この監督のことだからマルチスターで娯楽性も十分維持してそうですが)映画をわざわざ金払って見に来るような観客って、(日本ほどでないにせよインド国内で相対的に)投票率の低い都市部在住の、ある程度以上の所得層がどちらかというと多数派なのでは。

選挙に対する意識や政治参加の意欲も全般的に低く、税金バラマキと汚職にまみれた政治の世界に早々に見切りをつけて、代わりに自分たちはゲーテッドコミュニティーやら住民組織による自治運動やら、行政に対する条例施行やスラム撤去の働きかけやら、一見すると「非政治的」な、選挙政治とは直接結びつかない政治力を行使するのが好きな人々(あくまで勝手なイメージです)が、自国の選挙文化とそこにおいて動員される大衆の姿を映画という突き放した目線で俯瞰するようになった、・・・・・・のだとしたらそれはそれでまた乙な構図ですが、まぁそんな政治に倦んだ人は同じシネコンでやってる別の映画を選んじゃうと思うので、むしろ近頃クールな政治意識に目覚めちゃった人々(これもあくまで個人的な妄想です)が見に来るのかも知れませんね。

そんなわけで、では~。
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by ek-japani | 2010-04-10 02:07 | 映画
झुग्गी बस्ती कुत्ता बनेगा करोड़पति ?
c0072728_23583413.jpgこの映画、かな~り見たいんですが・・・。

ムンバイのスラム出身の若者ジャマールが、ある日テレビの人気クイズ番組「コゥン・バネーガー・カロールパティ?」に出演してどんどん問題に正解していき、すわ巨額の優勝賞金獲得か?という出来事を軸に、スラム育ちで困難続きの主人公の半生や幼なじみのヒロイン、ラティカーとの恋愛模様などのストーリーが展開するようです。

主人公役はインド系イギリス人の俳優のようですが、主要な役どころでイルファーン・カーンやアニル・カプールなど、ヒンディー語映画で著名な俳優も多数出演してるみたいです。実際の番組で司会をやっていたアミターブ・バッチャンの登場はさすがにないようですが。

トレスポのダニー・ボイル監督作だし、おそらく来年あたりに日本でも公開されるんでしょうが、早く上映してくれんものでしょうか。


あと、音楽をA.R. ラフマーンが担当してるのですが、日本でもわりと有名なスリランカ・タミル系英国人アーティスト、M.I.A.が参加してるあたり話題性も十分なので、映画だけでなくサントラCDもわりと日本で注目されるのでは。こちらも割と楽しみです。

とくに、サントラに収録されているM.I.A.のヒット曲、「Paper Planes」は監督たっての希望で採用したとのこと。この曲が劇中のどんな場面で使われてるかは映画を見んことにはわかりませんが、本人出演のビデオクリップはこんな感じ。


やっぱこの監督、劇中の挿入曲にはいろいろと深いこだわりがあるんでしょうね。トレスポの時もイギー・ポップの「The Passenger」かけてたのが印象的だったしなぁ。

※2009年1月13日追記
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by ek-japani | 2008-12-05 00:33 | 映画
ざ・ねーむせーく
c0072728_75419100.jpgけっこー楽しみにしてた『নেমসেক』を観てきました。というわけで内容や感想をとにかく思いついたまま散漫に書き綴ってみました。

※ちなみに、個人的な覚え書きのつもりなので、これから見る人には映画のネタバレ(もしくは逆に、未だ観てない人には意味不明)になってたとしても、とことん責任は逃れさせていただきますよ~。

ところどころでコルカタのハウラー橋とニューヨークのブルックリン橋(?)が映し出されるのが印象的でした。アスィーマー がゴーゴリ出産のため入院した病室の窓から見える橋がとくに描写されてる理由が当初よくわからなかったんですが、そのあとで列車事故後にアショークの病室(?)の窓からハウラー橋が見えるシーンでようやく意味つながった気がしました。
で、それとはまったく話が飛びますが、その他にもコルカタっ子の郷愁を誘いそうな街の風景がいろいろ出てくるので、不覚にも某「凝る肩」CMが思い出されました。


渡米してコルカタの家族と離れ離れの暮らしを送る羽目になり、その後今度は子供たちが大学進学を機に家を出て以後ろくに連絡もよこさなくなった時期に、アスィーマーが(たしか、図書館の仕事中に仲の良い同僚に愚痴をこぼしているシーンで)口にした「2度の家族の喪失」という言葉が何か心に残りました。
この映画の主人公たちのように国境・文化的境界を越境した、いわゆる「移民」のケースと同列に扱うつもりでは無いのですが、もしかしたら自分の家のように地方から都市部への「国内移住民」の場合にもある種共通する感覚なのかもという気がしました。うちの両親は就職を機に首都圏に移住して早うん十年という国内的「移民1世」でして、特に母親は実家がわりあい遠く両親も早くに亡くしているせいもあり、そちら側の親戚づきあいはほぼ皆無。そして「移民2世」の自分は同居の身ながら何だかんだと忙しく、せっかく用意してくれた食卓に不在がちだったりすると、たまになんとも申し訳ない気分になるわけです。なので、勝手な思い込みかもしれませんが、アスィーマーみたいな喪失感というか寂寥感というか、わが家で母親も感じてたらどうしよう・・・と少し考え込んでしまいました。まぁ、あの白人系アメリカ人の同僚の言うように「16歳過ぎたら親にもう寄り付かなくなるのが普通」と割り切る感覚も当然持ち合わせてるとは思いますが、それでも何か余計な心配混じりに観てしまいました。
身内話が長引きましたがとにかく、このような「家族」というものに対する感覚のズレも、移民家族が世代間・文化間で直面する問題としてうまく作品中に取り込まれてると思いました。


ボーイフレンドの母親であるアスィーマーの前でゴーゴリにベタベタくっつこうとしたり、アショークの葬式に駆けつけた際に上着を脱いで肌(二の腕)を露出したりなど、いろいろと恋人マクシーンの文化的KY具合がなにげなく描写されてるのも印象的でした。あとKYではなかったけど、同じく葬式のシーンで、玄関の外にあった多数の靴に倣って自分も靴を脱いで家に入っていくシーンとかは、日本的家屋の感覚に慣れてる観客としては当然過ぎて、クローズアップされると逆に違和感を感じました。あれは白人系アメリカ人のマクシーンが、それまであまり意識しなかったゴーゴリの文化的バックグラウンドへ文字通り足を踏み入れる第一歩として特に強調したかったんですかね。


渡米して間もないアスィーマーが(まだ慣れてなくて外に買物に行けないが空腹に耐え切れず?)キッチンの戸棚からシリアル引っ張り出して、さらにチリパウダー?それともコリアンダーパウダー?を小さじ一杯分投入してたのが少し衝撃的。あんなナムキーン風な食べ方もあり?とか一瞬思ったけど、さすがに味はアレでしょーかね~(誰かあれを真似した人はぜひとも感想を・・・)。


同じく食事シーンでは、父親のアショークが手で食べてるのと対照的に、移民2世のゴーゴリとソニアはスプーン使ってるのがさりげなく印象的な描写でした。世代間・文化間のギャップや、思春期の若者の親への何気ない反抗具合が、食事という家族の日常を描くのに最適な状況において、セリフ以外の部分でも上手く組み込まれてる感じでした。・・・でも、妹のソニアがテーブルに横向いて壁に凭れてメシ食ってるのは躾がなって無さ過ぎじゃね?アショークちゃんと叱っとけ!とも思いましたが。


ベンガル語のセリフには日本語字幕の真下に英語字幕も入るので、作中で頻繁に起きるセリフ言語の切り替えが日本語字幕を追ってても判明しやすい点は今回なかなか良いと思いました。けっこーこの言語スイッチは発話の背景にある心情を表現する上でも重要な手段でしたね。とくに、父親の急な死を契機にゴーゴリが自らの文化的アイデンティティーの「目覚め」を経験する部分で、空港で待っていた母親に(観客の前では初めて)ベンガル語で語りかけた瞬間とか。


映画のイントロやエンディングでベンガル文字が効果的に使われてるのも何か良かったです。フォント拡大しないと読みづらい!(この一番上の『ねむしぇく』みたく)とか何かとマイナスイメージが個人的に最近強かったあの文字が、今日は久しぶりにステキなものに見えました。

そういえばエンディングに流れるキャストの中に原作者のジュンパー・ラーヒリーの名前も見つけたのだけど、いったいどこで登場してたんだろう・・・。


その他にも意味を図りかねた描写がいくつか。とくに、ゴーゴリが死んだアショークの単身赴任先の部屋を整理するために訪れたシーンで、壁際にバタのゴム草履と並んで置かれていたアショークの革靴を履いてみるゴーゴリの描写とか。


字幕に出てくる人名についてはベンガル語読みだとわりきって、母音長短は気にしないでもOKだと思いきや、「アショケ」に何とも脱力!まぁ原作の綴りが「Ashoke」だったせいなんでしょうが・・・。日本版公式サイトの人名表記が「ミーラー・ナーイル」(たしか『モンスーン・ウェディング』公開時は「ミラ・ナイール」だったはずなのに)とかなってるのを鑑みると、さらにカナ表記の基準が意味不明な感じに見えてきます。これは原作本の日本語翻訳版の表記を尊重した結果、やむおえず採用した表記なんでしょうか。でも、何回聞いても「アショケ」とは聞こえないので、小説ならともかく映画の字幕としてはかなり無理があるかも・・・。
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by ek-japani | 2007-12-30 08:09 | 映画
2つも?(←4つでした・・・)
今年の東京国際映画祭、昨日あたり上映作品発表されたようですね(公式サイトはアクセスが集中してるのか重くてロードできないこと多いですが)。


どうやらインド映画は今回4作品も!
しかも一つはインドでも今夏公開されて間もない新作!
うひょ!昨年見れなかった分今回こそ!
(でもチケット入手するのは無理かな~。)

※追記:特別招待作品で「The Namesake」、共催・提携企画の映画祭で「Water」も上映されるようなので、なんだかんだ4つでした。あいかわらず公式サイトがなんか重い・・・。まぁ前者は見たいけど、そのうちロードショー公開されるらしいのでまぁそのうち。


 Gandhi, My Father
 (邦題『ガンジー、わが父』

インド本国でのガンディー再考の盛り上がり、作品自体の高い評価(自分は見とらんけど、各方面の感想を聞くに)、加えて日本(に限らんけど)での「世界の偉人」としてのガンディーの知名度、いろいろ条件が整ってコンペに出品されるのに申し分無いセレクトですね。しかも日本インド友好年とあって、いろいろなところで喧伝されるのでは。もうこれは来年当たりロードショー公開してくれたりするのでは?な展開を(勝手ながら独りで)予想してます・・・。

コンペ出品っていうことは、監督は当然として、主演俳優のアクシャイ・カンナーとかも舞台挨拶等のために来日したりしないですかね。ヒンディー語映画ファンの一人としては期待したいところです。

ちなみに他のとこも含め映画祭公式サイト上のインド人の名前表記、個人的に(良い意味で)ビックリしてるのですが、ここまできて監督の名前「フェロス」はないよな~、と独り言。


 Dor डोर
 (邦題『運命の糸』

こちらは昨年見たけど、もう一回劇場で見たいかも。個人的になかなか好印象な作品でした(「え、あれ?」な感じの結末はまぁ置いとくとして)。ヒマーチャルやラージャスターンのインドの壮大な風景あり、(作品として少し取ってつけたような)「封建的なインド」の女性の地位を巡る社会問題なんかも盛り込み、映画祭でいろんな観客に見てもらうのにまぁ丁度良さそうな作品ですね(普通に単館上映とかは難しそうだけど)。

映画祭サイトの作品紹介でも「接点のなかったヒンドゥー教徒の夫婦とイスラム教徒の夫婦」と書いてあるとおり、主人公2人の対比的な要素として(あんまり必然性は感じなかったけど)宗教的な出自の違いも設定されてましたが、個人的に気になるのが字幕とかに訳すと具体的に示すのが微妙に難しそうだなぁという点。うろ覚えだけど、わりと何気ないセリフでも「ムスリムだよ~」を主張するような語彙や言い回しがバシバシ登場してた感じするので。


個人的に期待しているのが、インド映画に興味なく普通に見にきた映画好きの観客とかの間で、典型的「インドの美人女優」って感じではないがベビーフェイスでわりと可愛い主演女優の片方に、予想外に「萌え~」な可能性とか無いですかね。ラジオの歌に合わせて楽しそうに踊るシーンとかで、アーイシャー・ターキヤーのファンが日本で急増してしまえばいいんじゃないかと。そんで動画サイトなどを中心に話題が広がり、なんだか日本に呼ばれてCMとかに出てしまったりモデルになったりCDデビューしたり。(あ、それじゃ最近人気のどっかの誰かの二番煎じ・・・。)



あと、同じく「アジアの風」部門で上映されるマレーシアの映画がインド系の監督によるアートフィルムのようなので、けっこ~見てみたい気がします。
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by ek-japani | 2007-09-21 00:59 | 映画