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Crossing the Bridge
こんな映画見てきました、東京での上映が終わる前に駆け込みで・・・。
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トルコ現代音楽の世界は全然自分わからんのですが、有名な往年の名歌手からわりとアングラな部類の若手アーティストまでいろいろ登場しているようです。
また、トルコの現代音楽シーンの様々な部分を単に紹介していくだけでなく、同時に各ムーヴメントがトルコ共和国という国家の中で、そしてイスタンブルという都市の中でポピュラーカルチャーあるいはサブカルチャー、カウンターカルチャーとして出現・発展してきた(しつつある)背景を、社会的、政治的、歴史的な文脈に上手く位置付けながらそれぞれ焦点を当てていく感じでした。

特に、一切スタジオ録音などせず、様々な社会階層の人々が交わる「場」としての路上で演奏を続けるSiyasiyabend という3人組が個人的に気になりました。当局としては政治的な内容を歌う彼らを本当は路上から排除したがっているが、EU加盟を政策課題にしているため、街中での路上演奏風景は「ヨーロッパ的」だという事で黙認されてもいるという話が印象的でした。
ちなみに映画中このシーンで歌ってる「Hayyam」という曲が何か良かったです。
(所々で「Su cahilleri bak, dünyanın sahibi dir onlar」とか何となく分かりそうな部分もありましたが、どっかネット上で歌詞全部載ってないもんですかね。何て歌ってるのかちょっと気になります。)

※2009年1月3日追記:バンド公式サイトより歌詞を引用。
Hiç hiçbir şeyi bilmiyorlar, bilmek istemiyorlar.
Hiç hiçbir şeyi görmüyorlar, görmek istemiyorlar.
Şu cahillere bak, dünyanın sahibi onlar
Şu cahillere bak, dünyanın hakimi onlar
Onlardan değilsen eğer,sana zalim derler
Onlara aldırma hayyam. Dostum (Dostum)



でもバンド名、60年代の反戦フォークを思わせる政治的な姿勢から直球的に「政治的なバンド」みたいな意味かと思いきや、映画公式HPには「メソポタミアの国民的英雄の名前」ってあるけどホント?



・・・で、観た後で思ったのだけど、インドのミュージックシーンを題材に誰かこういうの制作してくれないもんですかね。(映画産業に関連したドキュメンタリーは最近たくさん撮られているのだろうけど。)
やはりインドのポピュラー音楽が各地の映画音楽と密着、というか「喰われている」ような状況では、音楽産業のメジャーな部分であまり目立たないながらも存在しているロックやラップ、クラブミュージックなどの動向を相互に関連づけながら網羅的に紹介するのは企画として難しいんですかね。多分探せば何かしらと興味深いアーティストもいろいろと存在するかもしれないけど、でも音楽シーンでの成功の第一線と見なされる場が結局映画にしかなく、どうしようもなく映画音楽が前面に出て来てしまう状況だと、(とりわけ国外からは)あんまり内実が分からない感じですな。(特に「体制への申し立て」みたいな音楽の政治への関わりとか。)

何かリミックス多用のヒンディーポップとかそれに侵食されつつもある映画音楽とか、わりと軽い感じで聴き飽きる部分もあるので、たまにはもっと違う種類でインド発の現代音楽シーンに触れたい気分です。




※なんかグーグルビデオで全編(英語字幕付き)アップされているのを発見・・・。たぶんすぐ消されてしまうんだろうけど、見たい人はここから。
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by ek-japani | 2007-05-06 00:03 | 映画
映画『Final Solution』
最近こんなの発見した・・・。
http://video.google.com/videoplay?docid=3829364588351777769

※多分制作関係者がアップしたのだろうけど、この前の「Woh Lamhe」の時みたく万が一著作権的に問題ありで削除されてしまう可能性もあるので直接リンク無しということで。こっそり見ましょうね。

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 『Final Solution


 監督:ラーケーシュ・シャルマー राकेश शर्मा
 制作年:2004

 セリフ:主にヒンディー語、一部でグジャラーティー語と英語
 字幕:英語

日本でも昨年秋に映画祭上映されたようですが、自分その時にアルミホイルを噛みしめる思いで見そびれました・・・。こうして見ることができて個人的に「うひょ!」と小躍りするくらい感激ですが、繰り返しになるけど著作権的にOKなのか不明なので、見るならお早めに。



ちょうど5年前の2002年2月末にグジャラート州ゴードラー गोधरा で起きた列車焼き討ちをきっかけに、その直後州内各地で巻き起こった大規模な暴動事件についてのドキュメンタリー映画。

この暴動では、ヒンドゥー教徒の暴徒によってムスリム所有の家屋や店舗の破壊・略奪が行われ、女性や子供を中心に多くのムスリム住民が虐殺された。まず映画の焦点の一つとして、この暴動が決して偶発的に起きたものではなく綿密に組織・計画された事、そしてそれが警察や州政府など公権力を巻き込んだ陰謀であった事、これら事件の背後に濃厚に見え隠れする疑いに眼を向けている。もう一つの焦点は、この一連の事件が地域のヒンドゥー・ムスリム双方の人々にもたらした心理的および物理的な影響を追っている。


映画は主に立場の異なる多くの人々(暴動で大きな被害を受けたムスリムの住民、暴動への関与を否定する上層ヒンドゥーの住民やヒンドゥー・ナショナリスト団体関係者、そして列車襲撃事件で死亡したヒンドゥー教徒の遺族など)の証言を中心に進行していく。

個人的には冒頭で登場するムスリムの幼い男の子が特に印象に残った。そのあどけない表情とは正反対の、淡々と語られる事件の記憶の凄惨さが衝撃的だった。(この男の子は終盤にも登場し、次世代への憎しみや暴力の負の連鎖を予感させるような役割を託されている。)
また、暴徒に追われているところ同じ村の不可触民の家に匿われて命が助かったというムスリム住民の証言もあり、単純に「ヒンドゥー教徒vs.イスラーム教徒」という図式には集約できない複雑な状況の一端が垣間見える感じもした。



ちなみに監督のブログによると、アメリカでも各地の大学などで企画上映したそうですが、その時にVHPなどの海外支部会員が「インドを貶めるプロパンガンダ」だと抗議するために何度も押し寄せたらしいです・・・。
(ちなみに同じサング・パリワール傘下の団体RSSの広報ビデオとかもグーグルにあって面白いです、あれとか、これとか。)


だいぶ脱線してきたとこで、ではでは~。
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by ek-japani | 2007-02-28 23:09 | 映画
いっ!!
なんかGoogle Video でこんなのを今しがた発見したのですが・・・。

※12月23日追記:自分がリンク貼ったせいなのか知りませんが、どうやら削除されてしまったらしいです。

コピーライト的に、これってもろにアレ過ぎるのでは?
流行のYou Tube ですらこんな丸ごと2時間アップしてあったら、さすがに目立ちすぎて即刻削除されそうだけど、最近のグーグルは買収した先のほうにかまけて足元の管理がおろそかになってるのでしょうか。
誰かがアップしてから2ヶ月ほど見逃されてきたみたいだけど、まぁ削除されるのも時間の問題でしょうから楽しむならお早めに。

まぁ何はともあれ、嬉しいような怖いような、何でもありな?すごい世の中になったもんですね・・・。
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by ek-japani | 2006-12-12 19:58 | 映画
BAFTA GOES BOLLYWOOD
久しぶりにiTunesをいじってたら、こんなの発見。
ボリウッドマニアな人どうぞ。
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by ek-japani | 2006-09-16 17:27 | 映画
ヒンディー語映画俳優の公式サイト
最近ウィキペディアであちこち映画俳優の項目をふらふら巡っていたら、いくつか俳優本人の公式サイトを見つけたのでまとめてみた。

 ● アトゥル・クルカルニー अतुल कुलकर्णी
 ● アニル・カプール अनिल कपूर
 ● サルマーン・カーン सलमान ख़ान
 ● サンジャイ・スーリー संजय सूरी
 ● ジョン・アブラハム जॉन अब्राहम
 ● マーダヴァン माधवन மாதவன்
 ● マノージ・バージペーイー मनोज बाजपेयी

 ● アイシュワリヤー・ラーイ ऐश्वर्या राय
 ● プリーティ・ズィンター प्रीति ज़िंटा (準備中)

俳優本人と関係なく運営されてる非公式ファンサイトだったらネット上に数多あるが、それに比べて意外と公式サイトって少ないもんですな。
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by ek-japani | 2006-04-11 02:03 | 映画
映画『Maine Gandhi Ko Nahin Mara』
昨日に引き続き、DVDで今度は『Maine Gandhi Ko Nahin Mara मैंने गाँधी को नहीं मारा 』を観た。


c0072728_18373332.jpgウッタム・チョウドリー उत्तम चौधरी はかつてボンベイ大学でヒンディー文学を教えていたが、退職して以降痴呆(最近では「認知症」と言うらしい)の症状が徐々に影を落としていく。また、トラウマとなっていた幼少期の記憶の影響により、自分がマハートマー・ガーンディーを殺害した容疑で監獄にいると思い込むようになる。

やはり主役のアヌパム・ケール अनुपम खेर (日本の有名人ブログのように、アヌパムおじさんのブログもあった!でもほとんど更新されてない・・・。)の演技は流石である。人生の老境に差し掛かったウッタムの内面における自己喪失への不安や恐怖をうまく表現していたと思う。なかでも、いつものように娘や息子と一緒に朝食を囲んで談笑しているシーンで、自分の母親がウッタム教授のファンだという事である女友達から頼まれた息子のため、過去に出版され有名になった著書にサインを書いてあげようとした矢先のことである。サインを送る相手の名前を一瞬前に教えられたにも関わらず思い出せず、突如暗澹と落ち込んでいくウッタムの心の変化がさり気無いながらも良く表現されてた。また、状態がさらに悪化してからのシーンでは、心理的なストレスが加わった時に今までしていなかった髪の毛弄りを突然やりだすのを見ていると、ウッタムの内面にドロドロと鬱積していく不安な思いが今にも自分の中へ流れ込んできそうな感じで、自分まで軽くドンヨ~リ不安な気分になってきた。

他方、周囲でウッタムの変化に振り回されながら暮らす家族の苦悩も描かれるが、なかでも献身的に付き添う娘のトゥリシャー तृषा (もし勘違いでなければ、「(喉の)渇き、渇望」みたいな意味の変な名前・・・。)を演じるウルミラー・マトーンドカル उर्मिला मतोंडकर もなかなかの演技である。あと、家政婦さんが喋ってたセリフがイマイチよくわからん感じだったが、あれはマラーティー混じりでムンバイヤー・ヒンディー風に喋ってるのだろうか・・・。


ウッタムの御気に入りという設定で、映画中ウッタムやトゥリシャーの口から何度も繰り返し言及される一篇の詩がある。その詩を以前誰かかから直接聞かされたか、どっかテレビとかで聴いたのか、はたまた単に雑誌とかで字面で見たのかすらも記憶がはっきりしないが、この映画よりもっと過去の時点にどこかで一回知ったような感覚が漠然としている。でも、やっぱ~り思い出せない~という釈然としない気分が少し続いている・・・。

まぁ物覚えが悪いのは今更なので、思い出せないのはしょうがないとして、とりあえずその詩の内容は以下の通り。

個人的には最後6行がとくに良い、自分の今の心境に深く響く。
(自分の粗雑な直訳の日本語を読むとそんなパッとしないが、原文の方は2節ごとに脚韻で揃ってて、音読するとなかなか躍動感がでてくる感じだ。)




 लहरों से डरकर नौका पार नहीं होती       波を恐れていては舟が向こう岸へ渡ることはない
 हिम्मत करने वालों की हार नहीं होती।                     諦めない者に負けはない

 नन्ही चींटी जब दाना लेकर चलती है,              小さな蟻が小さな餌の粒を運んでいく
 चढ़ती दीवारों पर सौ बार फिसलती है,       その時よじ登ろうとして壁から百回すべり落ちる
 मन का विश्वास रगों में साहस भरता है,            心の中の自信は体中に活力を漲らせる
 चढ़कर गिरना,गिरकर चढ़ना न अखरता है,  登っては落ち、落ちては再びよじ登ることを厭わない
 आखिर उसकी मेहनत बेकार नहीं होती,       そして遂には、蟻の努力が無駄になる事はない
 कोशिश करने वालों की हार नहीं होती।                 挑戦しつづける者に負けはない

 डुबकियां सिंधु में गोताखोर लगाता है,                     何回も海に潜水夫が潜る
 जा-जाकर खाली हाथ लौट आता है,                潜っていく度に収獲も無く戻ってくる
 मिलते न सहेज के मोती पानी में,     得られはしない、見つけやすく置かれた真珠を水の中で
 बहता दूना उत्साह इसी हैरानी में,         湧き出てくる、倍の情熱がまさにこの困惑の中で
 मुठ्ठी उसकी खाली हर बार नहीं होती,    潜水夫の握った手の平に毎回何も無いわけではない
 हिम्मत करने वालों की हार नहीं होती।                     諦めない者に負けはない

 असफलता एक चुनौती है स्वीकार करो,             失敗は一つの試練である、受け入れよ
 क्या कमी रह गयी,देखो और सुधार करो,      何の欠点が残っているのか、確かめよ、改善せよ
 जब तक न सफल हो नींद चैन को त्यागो तुम,     成功するまで眠りや平穏を捨て去るのだ 君よ
 संघर्षों का मैदान छोड़ मत भागो तुम,              戦いの場を離れ逃げ出すなかれ 君よ
 कुछ किये बिना ही जय-जयकार नहीं होती,        何もせぬまま万歳の声を挙げることはない
 हिम्मत करने वालों की हार नहीं होती।                     諦めない者に負けはない




ちなみに、この詩の作者は20世紀前半に活躍したヒンディー文学作家・詩人“ニラーラー निराला”(本名:スールヤカーント・トゥリパーティー सूर्यकांत त्रिपाठी )らしい。

「らしい」というのは、ウィキペディアではそう書かれているのだが、詩のデーヴァナーガリー表記をネット上で探してて今回見つけたブログ記事には「(作者だと聞いたので)手元のニラーラー著作集を開いてみたが、この詩は収録されてなかった」と書いてあるし、コメント欄にも別の人から「僕の知る限り、ハリヴァンシュラーイ・バッチャン हरिवंशराय बच्चन が作者だと思うよ」てな無責任なツッコミも入ってるし・・・、という訳なのである。

はたして作者はやはりニラーラーなんだろうか???


※4月7日追記:どうやらこの詩の作者はニラーラーではなく、ハリヴァンシュラーイ・バッチャンなようです。
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by ek-japani | 2006-04-04 07:15 | 映画
映画『Mangal Pandey』
c0072728_1351531.jpg先日インド帰りの知り合いにDVDを買ってきて貰って、ようやくながら『Mangal Pandey - The Rising』を観る事ができた。やった~。

DVDには特典として映画撮影時のメイキング番組が収録されてる事がわりと多く、それをいつも自分はひそかに楽しみにしているのだけど、この作品のDVDもしっかり2枚組みで本編収録のに加えたもう一つのほうに未公開シーンや映画封切りのプレミア上映の映像などと一緒に収録されてた。


今更ながらや~っと観た感じなので内容については省略するが、個人的な感想としては映画の威力ってほんとすごいなぁ~と漠然と思った作品だった。(詳細が知りたい場合は、アルカカット氏による『これでインディア』映画評‐日記2005年8月12日分を参照なされたし。)
映画だからある程度までフィクションの領域に属するものだと割り切って観ようとしてても、映画の外で議論がなされてる歴史のグレーゾーン的な「事実」が、映画の鮮明な映像や丹念に描かれたストーリーを眼の前にすると実際に当時も全て映画の通りに起きたのじゃないかと思ってしまう感じだ。多くの観客はこの映画をあくまで「作り話」として楽しむのかもしれないけど、それでも記憶の奥底に残像として残り、歴史に対する人々のナショナリズムな心象へ何かしら影響を与えるのは間違いないのでは。とくにアーミル・カーンみんな好きだろうし。


ところで他にもDVD何本か買ってきて貰ったのだが、個々の作品やDVDを出してる会社によっていろんな点で差がある。

国内向け正規販売DVDの価格はだいたいRs.299~499の間を50ルピー単位で上下する感じだが、この値段設定の仕方がいまいちよくわからん。ただ、売れ筋かそうでないかで露骨に差がつけられてる気はする。

『Mangal Pandey मंगल पांडे』はRs.399、同時に買ってきて貰った『Sarkar सरकार』も同じ値段、ヒット作品は基本的にRs.399以上の場合が多く気がする。さらに意味無く?豪華(なつもり?)な“プレミア・パッケージ”(ただの厚紙)で販売してるとRs.499~599とかまで価格が意味不明なレベルまで跳ね上がる。今回他に買ってきて貰った『Paheli पहेली』なんかがまさにこのパターンでRs.599だった・・・。(あと自分が知ってる範囲では『Veer-Zaara वीर-ज़ारा』『Black』とかのDVDも。)
逆にあまり大量に売れなそうなDVD(とりあえず作品の質とは関係なく)の場合は、控えめにRs.299の場合が多い気がする。(ただ『Bunty aur Babli बंटी और बबली』は2枚組みで特典豊富なわりにRs.299だったので、やっぱり価格設定の基準は謎だ・・・。)

単純に価格の面では一般的にヒット作品のDVDほど値段が上がってくるが、その品質(字幕言語の多さ、DVD特典の豊富さ、DVDケースの装飾など)との兼ね合いで見るとまた一概には言えない。これは割りとDVDの販売会社による部分が大きい感じがする。ただ、字幕の言語の多さは価格に関係ない感じだ。基本的に娯楽作品で国内&国外の広い地域で売り上げが見込めそうなものほど字幕がやたら多く、逆に芸術映画の度合いが高くなるほど英語字幕だけで済ませてしまう傾向を感じる。
今回買ってきて貰った中では前述の『Sarkar』や他に『Apaharan अपहरण』のDVDを販売してるT-seriesがその点一番やる気無いと思う・・・。字幕はだいたい英語のみだし、DVDの印刷は海賊版みたいだし、何よりケースのDVDの穴にはめる部分が構造的に取り外し難いと思うのは自分だけではないはずだ。何とかならんもんなのかなぁ、あのDVDケース・・・。
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by ek-japani | 2006-04-01 14:39 | 映画
『忘却のバクダッド』
先週国際交流基金フォーラムで開催されてた“アラブ映画祭2006”に行ってきた・・・。

観てきたのは忘却のバグダッドというドキュメンタリー映画。

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Forget Baghdad: Jews and Arabs - The Iraqi Connection
訳題 『انسى بغداد 』(アラビア語) / 『שכח הבגדד』 (ヘブライ語)


スイスで育った在外イラク人の監督は、この映画の中で同じイラク出身のアラブ系ユダヤ・イスラエル人の人々に対してインタヴューを行い、その中で語られる彼ら自身が20世紀の間に辿った道筋を通して、現在の「パレスティナ問題」における「アラブとユダヤの対立」のような単純化された図式に潜む虚構を浮かび上がらせている。


以下の5人の著名なイラク出身ユダヤ・イスラエル人たちへのインタヴュー映像と、それと交互に挿入される過去のニュース映画や娯楽映画の映像を中心に映画は進行していく。

 ・Samir Naqqash
 ・Sami Michael
 ・Moshe (Moussa) Houri
 ・Shimon Ballas
 ・Ella Habiba Shohat


この5人のうち最初の4人は監督の父親と同世代であり、また監督の父親と同様に過去20世紀前半のイラク国内で、帝国主義に対する反植民地運動の一環として社会主義運動に参加(お互いに当時からの知り合いというわけではない。) していた。当時のバグダードで社会主義者に対する政府の弾圧から逃れて回る過程では、まだ彼らが「ユダヤ人」である事と「イラク人」「アラブ人」である事について多くの人が疑問を持たなかった。だが、形式だけのイギリス委任統治からの「独立」、シオニズム صهيونية ציונות 運動の高まり、軍部のクーデター、イラクでのユダヤ人弾圧暴動(「ファルフード فرهود 」)などの事件を経て、徐々に「イラク人」「アラブ人」である事から排除されていくようになっていった。
それが決定的になったのは、第二次世界大戦終結後のイスラエル建国と第一次中東戦争、それに伴う反イスラエル主義としてのアラブ民族主義の高揚である。もはや祖国イラクに留まる事は自らや家族の身の危険に繋がるまでに状況は悪化し、ほとんどが望まぬイスラエルへの移住を余儀なくされた。

イスラエルに移住した彼らを待っていたのは、日常生活の様々な局面に張り巡らされたイスラエル支配体制からの文化的な同化圧力、それと同時に直面する制度的、また社会的な差別であった。そのような中で、かつてイラクで体験したように、再び「母国」においても「イスラエル人」「ユダヤ人」である事から排除され、二重に周縁化された立場へと追いやられていった。
とくに、現在イスラエルで有名な文化人になった4人の中で一番若く、唯一現在もアラビア語で著作活動をしている小説家・劇作家サミール・ナッカーシュ סמיר נקאש صمير نقاش 氏(本作に出演後、2004年死去)の体験にその周縁化された状況が色濃く反映している。彼はエジプトのノーベル賞作家ナギーブ・マフフーズ نجيب محفوظ からも賞賛されたにも関わらず、著作はヘブライ語にも英語にもほとんど訳されておらず、イスラエル国内はおろか、どのアラブ諸国の出版社からも著作出版の声がかからない。また、アラビア語の手紙を長距離バスの中で読んでいたら、検問所で隣の乗客に「こいつアラブ人だぞ」と告発され、いわれの無い取調べを受けるはめになった経験も映画中で語っている。


c0072728_10523258.jpgこのような親の世代の苦境を見ながらイスラエルで育った第2世代の体験が、残る一人エラ・ショハト女史によって語られる。
現在はニューヨーク市立大学でカルチュラル・スタディーズを講義する研究者である彼女は、欧米の映画における「ユダヤ人」「アラブ人」やイスラエル映画におけるミズラヒム מזרחים (「東洋系」ユダヤ)などに共通するステレオタイプ的な描き方(この映画中では、過去のいくつかの映画における「砂漠に住む(住んでた)アラブ人」という偏見が指摘されてた)、また過去のイスラエル映画のストーリーに潜む、ミズラヒムに対するアシュケナズィム אשכנזים (「西欧系」ユダヤ)の同化主義的な姿勢について、などを分析・批判してきた。
(それぞれ「東洋系」「西欧系」という訳語がどこまで適切かは疑問の余地があるが、とりあえず字幕ではこんな感じの訳語だった、とうろ覚え・・・。)

しかし、ショハト女史はイスラエルで過ごした幼少期の体験を淡々とした笑顔で語る。家の外で使うヘブライ語にアラビア語の単語が混じらないように注意し喋らなければならなかったり、アシュケナズィ系の同級生から「臭い」と言われた○○○(?具体的な名前忘れた・・・。確かアラブ圏でよくある食材。)のお弁当を学校に持っていく前に毎朝途中でこっそり捨てたりという話を、である。
さらに年齢が上がるにつれ、自己の内における問題は深刻になっていく。学校や家の外の社会で示される「あるべきイスラエル人」像を内面化し、それに同化しようとするが同化しきれない状況へのジレンマは高まり、自分よりもさらに同化しきれていない両親や祖父母の否定、ひいては「イラク人」「アラブ人」である自己をも否定しなければならず、そんな自分の感情からくる両親への罪悪感など様々な葛藤に苦しんだ(と話の内容から予想)。

ショハト女史が青年になると、同じミズラヒ系イスラエル人の若者たちの間で当時活発になってた「ブラック・パンサー הפנתרים השחורים 」という、アシュケナズィムが占めるイスラエル支配体制に対する社会的な抗議運動にも参加した。
その後は研究者として、表向きには隠蔽され支配体制側が認知しようとしてこなかった差別構造を告発し、一貫してイスラエル政府を批判するようになる。それは一冊の映画史に関するショハト女史の本が出版された時に決定的となる。このドキュメンタリーでは、出版直後にイスラエルのTV討論番組に出演した時(80年代前半頃か?)のビデオを見ながら、現在の彼女自身が番組収録時の状況を解説している。ビデオの中でアシュケナズィ系の司会者は、彼女が論証だてて説明しているイスラエル社会の差別構造について当初一貫して信じるどころか横柄な態度でまともに聞こうともしなかったが、突然スタジオの観客に向かって「差別なんて実際あると思いますか?」と問いかける。司会者はおろか、当時の彼女自身も予想しなかった事だが、ミズラヒムの観客の多くが「差別はある」と声を上げ始めた。その途端、司会者は突然の思いがけない答えにあからさまに動揺し始めた。現在の彼女が言うには、「この番組で初めて差別構造の存在がイスラエル国内で公に語られた」とのこと。
その後アメリカに移り住み、家族も呼び寄せニューヨークのイラク系ユダヤの集住地域で暮らしているそうだ。


この映画の5人の語り手のなかで、全体的にショハト女史の占める比重が特に大きい。なぜなら他の4人と異なり、「イスラエル人」「ユダヤ人」の枠組みから「アラブ人」として周縁化されるという困難な状況に幼年期から置かれ、自己アイデンティティ形成のためにより複雑な道程を辿らねばいけなかったからだろう。
育った「状況」が一度は彼女に否定する事を余儀なくさせた家族や自分自身。それらを再び取り戻すためには、研究によってその「状況」を相対化する事やイスラエルを離れる事が必要だったのかもしれない。だが、前述の子供時代の記憶をカメラに向かって語るシーンでは、意識的にか無意識にか、彼女は笑顔を保とうとしてるように見えた。いくら大人になった自分自身を理論で納得させたとしても、当時の記憶の中に残る、日常の些細な、しかしながら根源的な部分で自己を否定された「感覚」までは理屈で読みかえる事は不可能なのだろうか。
(この点は個人的な思い入れを多分に反映してる可能性高いとも思うが、とりあえず鑑賞中はそんなふうに見えた。)


もう一つ。
このドキュメンタリー映画の視覚的な効果として、英語・アラビア語・ヘブライ語の「字幕」が頻繁に映し出される。しかも、それらの言語の3種類全ての「字幕」が常に表示されるわけではなく、一見ランダムな感じながらも、意図的に表示する文字の種類を選択しわけている。つまり、「字幕」の違いによって映画の場面ごとの「文脈」のようなもの暗に観客に示そうとしているような印象を受けた。

この「字幕」は主に3つの用途で使用されている;①次のシーンへ切り替わった時に新たに映し出される撮影場所や登場人物の名前、②語りの中に含まれる特殊な用語、③語りの内容を理解するためのキーワード、である。①②③の場合ともに、タイプライター風の字(上のHPの画像上のタイトルみたいなの)で表示される「字幕」は基本的に英語+アラビア語/ヘブライ語の両方(もしくは、たまにどちらかだけ)でぼんやりと浮かび上がって消える。
c0072728_10392438.jpgそれだけなら単なる「字幕」の域を出なかったかもしれないが、②③の場合ではさらにストーリーのところどころの要所で、大きなサイズ&しっかりした書体のフォントで「字幕」(←左の写真が1例;多くがアラビア語のみ、ヘブライ語もたまにあった気がする。)が次々と画面上の背景を横切っていく。画面上の登場人物が話しているアラビア語は自分には理解不能だったが、まるでこの「字幕」を見ているとその「言葉」が自分の中に流れてくるような感覚をおぼえた。

監督がこれらの「字幕」を用いた意図としては、登場人物らイラク系(や他の多くのアラブ系)ユダヤがイスラエルで生活する様々な場面で置かれた周縁的な立場を、言語の面から特に強く表現しようとしているのだと思う。
まずイラクで、「アラビア語話者」=「アラブ人」(つけ加えて「アラビア語イラク方言話者」=「イラク人」)=「ムスリム」である、という図式で人々の意識の中に徐々に形成された「条件」から排除されていき、続いてイスラエルでも、「“標準的な発音の”ヘブライ語話者」=「“主流派の”イスラエル人」=「ユダヤ人」である、という図式で暗に定められた「模範」からたびたび排除された。

このような「言語」と「民族」「宗教」の帰属意識における問題は南アジアの状況にも通じるテーマだと思う。なので映画のこの点をクローズ・アップする「字幕」効果が特に興味深く感じた。
近代的な帰属意識が形成される過程において、人々のアイデンティティの拠り所となりうる事物の境界線がありとあらゆる所で明確に設定されていき、ある特定の言語を話す人々の属性やそれらの人々と言語自体との境目がほぼ同一視されてしまう。しかも、それがさらに現実の社会にも実体化していった時に、その枠組みからはじき出されてしまう人々には多くの問題が降りかかってくる。
このような現象は、この映画の中で登場した5人が自らの経験についての語りを通じて明らかにしたように、イラク系ユダヤ・イスラエル人を取り巻く様々な局面でも起きていった。とくに、彼らを取り巻くアラビア語 العربية /ヘブライ語 עברית の関係は、ヒンディー語 हिन्दी /ウルドゥー語 اردو をめぐる政治的な関係に近いものがあるように思えた。とりわけ「言語」の境界が文字によって明確に視覚化され、それが帰属意識(や、時に敵対感情も)の対象となる点など。
(もちろん、アラビア語/ヘブライ語の間の言語それ自体としての関係は、決してヒンディー語/ウルドゥー語ほどには「同一」なものではないはずだが、もとの音韻や文法なんかの点では文字の違いからは想像できないほど近いはず、きっと。・・・と漠然とした予想しかできないのが無念。)


※※※
ちなみに、今回ヘブライ語については文字の入力やカタカナ表記のためにウィキペディアのページを参考にしたのだが、いくつかの単語で「長母音は区別するの?」な疑問が生じた。(だって 【アシュケナジム】のページには「~は“アシュケナージーム”ともいい・・・」と書いてある割には理由が書かれてないし・・・。)
英語版 【Hebrew Language】-“Dialect”項によると、このカタカナ表記の違いの原因になっているのは現代ヘブライ語における発音偏差によるものらしい。ヘブライ語が現代イスラエルの公用語として「復活」する過程で、ドイツ語やスペイン語など欧州系の言語がベースにあるヘブライ語話者の発音が「標準」とされたためで、そのような「標準」現代ヘブライ語では長母音や咽頭音「ע」(アラビア語の「ع」などでの喉を絞める音)の区別がされなくなったようです。
というわけで、ヘブライ語の単語表記には今回「ー」をいれませんでした。
(ただ、この映画に出てきたようなアラビア語がベースのヘブライ語話者の発音には区別が残されているようなので、カタカナ表記する際なんかややこしい話だ・・・。この点についてはヘブライ語専攻とかじゃなくてよかった・・・。)
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by ek-japani | 2006-03-16 10:58 | 映画
『Rang De Basanti』が観たい・・・
明後日の今月20日(金)にインドで封切られる映画、Rang De Basanti रंग दे बसंती』がすご~く観たい・・・。
※1月19日追記:一週間延期されて1月27日(金)公開らしいです。
※1月29日追記:結局いろいろあって1月26日(木)、インドの共和国記念日に公開でした。

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何でかと言うと、衛星TV見てると頻繁に宣伝が入るわけである。
バングラー भंगड़ा なリズムに乗せてダレール・メヘンディー दलेर मेहंदी (←そういえば一昨年頃逮捕されたりしたのに、いつの間にか復帰?)の歌が始まって、最期に「あ~ ラングデーバサンティー ラングデーバサンティ~」という声がやたら耳に残る。

最初は『Dil Chahta Hai दिल चाहता है』みたいな現代の都市部の若者を描いた青春群像ものなストーリーなのかと思ったら、同じく現代を舞台に都市部の若者を中心に据えつつも、独立運動期のナショナリズムや自分のルーツを再考し、そこから現代のインドの社会、そして個人のアイデンティティーに対する新たな視野を開いていこうという趣きらしい。公式サイトやBBCのニュース記事であらすじを読んだだけなので、実際に観ないうちには何とも言えないが。

そういえば、久しぶりにアーミル・カーン आमिर ख़ान عامر خان の主演映画が昨年夏の『The Rising』に続き(ってほど時期が近くもないけど)公開されたと思ったら、また歴史モノ/現代モノというセットな感じですな、2001年の『Lagaan लगान 』と『Dil Chahta Hai』みたいに。まぁ偶然でしょうが。


話は変わるけど、衛星TVを見てると何かあからさまにTVドラマって女性向けに作られてるのだなぁと今更ながらに思う。まぁ女性、特に家にいる時間が多い専業主婦向けの番組が昼間とかに多かったり、連続ドラマも女性の視聴層を想定して作られてるのがほとんどなのなんか日本も状況は似たり寄ったりだが。
ただインドの場合は、TVドラマから翻って娯楽の王道である映画を見ると、やたらと男性のマッチョな願望があからさまに投影されている(のも多いけど)とまでいかなくとも、主人公に女性を据えたものがかなり少ない気がしてくる。まったく無いわけでもないけど、娯楽色が強いものほどヒーロー/ヒロインの役どころの比重が前者に偏る傾向があると思う。

パールター・チャタルジー पारथा चटर्जी の言うような、ソト/ウチ、物質/精神、男性/女性、理性/自然、近代/伝統などの二分法って「映画/TVドラマ」にも当てはまってくるのかもしらんですな。多分誰か既に研究なさってるんだろうけど。


c0072728_15323210.jpgで、この映画とそれが何か関係あるのかと言うと、上半身裸でシャツ振り回して走っていき、飛行機が上空に来たとこで飛び上がるシーンが何かやたらと宣伝で繰り返されるのが何か気になるので。
最近は全体的に若手男優のサルマーン・カーン सलमान ख़ान سلمان خان 化が無駄に進んでる感じなので何かアレですな・・・。
でもそういうのが印象に残る宣伝として客を呼び込めるのかもしらんですな。


長々となってきたがオチをつけると結局、
「まぁ音楽もけっこー良さそうなので、誰か春休みにインド行く人がおったらCD買ってきてくれんかしらね」、という事です・・・。

※1月19日追記:どこかに願いが通じたのか、買って来てくれるという御仁がさっそく名乗り出てくれました、うひょ。
 あ、というかここを見てくれたのかな???だとしたら、自分で書いておきながら予想外のサプライズ&連絡にタェンキューです。
締めのインド旅行どうぞ楽しんできてくだされ~、今度は卒論から解放されて優雅な旅を満喫できますな。
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by ek-japani | 2006-01-18 16:14 | 映画
映画『Kaal』を見た。
c0072728_7475020.jpg今年の春頃に公開されたヒンディー語映画『Kaal काल』をDVDで見た。
(←写真;左、販売元:SONY BMG Home Entertainment、Rs.299)

あらすじとしてはこんな感じ…
人食い虎によって観光客が襲われるという事件が最近頻発しているオービット国立公園。その広大な自然を舞台に、レジャーや事件調査のため訪れた主人公たちに奇妙な出来事が起こり続け、公園を脱出すべくサバイバルを続けるなか次々と仲間が犠牲になってゆき、そしてある真実が事件の背後に浮かび上がってくる・・・。
(この映画に関して詳しくはアルカカット氏の『これでインディア』 日記:2005年4月29日の項をご参照のこと。)

また変な役をやってるな~と思い、アジャイ・デーヴガン अजय देवगन 見たさで選んだのだけど、予想以上に良い演技というかハマリ役(突然現れるジャングルの案内人)で、あの三白眼が今回も怪しく輝いてる(?、というか暗く澱んでる?)のが良い。見てよかった~。
一応今回演じているカーリー・プラタープ・スィン काली प्रताप सिंह は悪役なのだけど、主役4人の影が薄くなるぐらい不気味な存在感を見事に漂わせていて、とても他の俳優ではできないだろうな~と思う。しかも漆黒で揃えたシャルワール・カミーズ शलवार क़मीज़ شلوار قمیص は暑くないのか何とも気になる、特に袖の捲くり具合が・・・。

あとラーラー・ダッター लारा दत्ता が自分の見てる悪夢の中で遠慮会釈なく絶叫するシーンはなんか良かった、元モデルのプライドもかなぐり捨てて女優として頑張ってるなぁ~と思って見てしまった。

カメラアングルとか効果音の使い方も良~く計算されていて映画としての完成度も高いと感じた。
とりわけ効果音。夜中に独りでヘッドフォン付けて見てたのもあって、別に怖がらせるようなBGMも流れてない場面で突然意表を衝いて入る効果音に容赦無くギョッ!となった。導入部分で、故障して止まった車のボンネットをヴィヴェーク・オベロイ विवेक ओबेरॉय が開けた瞬間に、突然トラックが真横を通り過ぎる場面が特に印象に残った。(ちなみに今回のヴィヴェーク・オベロイの役は「Cut the crap」と「जी करता है जान से मार दूँ 」が口癖で、事あるごとに使ってたので自分にも少し伝染してしまった気がする・・・。)

※9月13日追記:DVD特典で入ってるエンディング曲“Tauba Tauba طوبہ طوبہ”のヴィデオ・クリップを見たら、最後のほうでヴィヴェーク・オベロイが一瞬だけ着て登場してた裾長の黒いジャケットの右側には、ひょろひょろした手書き風のアラビア文字で「عشق (イシュク) پیار (ピャール) محبت (ムハッバト)」と書いてあった・・・、いったい誰がこんなツッコミどころ的な衣装のデザインを???(ジョン・アブラハム जॉन अब्राहम の胸に大きく書いてある「عــــشــــق (イシュク)」は言うまでも無く・・・。) この曲の歌詞がスーフィズム的な神への愛を謳ってるとはいえ、いくらなんでもそのまんま過ぎてアホっぽいデザインだと思うが・・・。


ところで今回見たDVDについて・・・。
c0072728_7482698.jpgこのまえ京都へ行った時かねてより噂の『ラージャワーブ लाजवाब لاجواب』で食事したのだが、その際に店内で数多く最新のDVDやCDを販売してた中から迷いに迷った末に選んで購入した。
新しいのもそうだが、品揃えが厳選された良い作品が多く並んでて、おっ!と思った。(かな~り欲しかったものばかりだったけど、ほとんどは現在インドを旅行中の友人に頼んであったので我慢。)

ところで帰り際に、今まで自分の中でかな~り重大な謎だった店の名前の事について店主さんに尋ねてみた。その謎とは…何で店名を“ラージャワーブ”となさったのか、である。
その真相とは…、店主さんの奥様の実家があるオリッサ उड़ीसा ଓଡ଼ିଶା 州のサンバルプル संबलपुर ସମ୍ବଲପୁର の町の、店主さんお気に入りな食堂から名前をとったそうな…、う~む納得、謎が解けて思わずラージャワーブ。

ちなみに奥の厨房のほうで店主さんの携帯が一回鳴ってたが、聞こえた着信メロディーはPanjabi MCの“Mundian To Bach Ke”だった…! さ、さすがマニアだなぁとなんとも感動する。
さらにちなみに店主さんがその時着ていらっしゃったT‐シャツはカーキ色地に迷彩柄でオームの文字 (ॐ)が大きくプリントしてあって、かな~り自分もマネしたくなった。入手先を知ってビックリ、何とジャスコのバーゲンで売ってたものだそうな…、むむっ侮りがたしジャスコ。

※全然レストラン的に関係無い点ばかり書き連ねてしまったけども、頼んだオリッサ風ターリーがけっこ~良かった。とくにオリッサのダールは今まで食べたことの無い新鮮な感じの味で気に入った。新たな発見をした気分である。


あと京都では『Green e Books』という面白い本屋さんにも立ち寄った。夜遅くまで営業しているので、滞在最終日に帰りの夜行バスの時間まで余裕があったのでふらっと行って見た。
インド関係の英語書籍が豊富にあるというのを、某メヘンディー मेहँदी مہندی 職人さんのブログ(現在@バンガロール बंगलोर ಬೆಂಗಳೂರು )で以前拝見して知っていた(おっ、情報サンキューでーす!)のだが、小さな店の規模ながら日本で入手し難そうなタイトルが揃えてあって感動する。
最近かな~り読んで見たかった『The Great Indian Middle Class』(Pavan K. Varma पवन क. वर्मा 著、Penguin Books India)を発見したので即購入。
日本のアマゾンにも一応あるけど、中古でアホみたく高くなってるのしかない状態が続いていたので、ホントこの本屋に来てよかった~と思った。)
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by ek-japani | 2005-09-09 08:10 | 映画