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映画『Bose - The Forgotten Hero』公開
BBC Hindi より・・・


最近日本でラース・ビハーリー・ボースの伝記が出版された一方で、インドではもう1人のボースに注目が集まっている。

その発端が先週末にインドで封切られたばかりの、この映画・・・。

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『Bose - The Forgtten Hero』

 監督:श्याम बेनेगल
 音楽:A. R. रहमान
 主演:सचिन खेडकर


 ※ちなみに
 スバーシュ・チャンドラ・ボース सुभाष चंद्र बोस

第二次世界大戦の最中、インド国民軍(Indian National Army आज़ाद हिंद फ़ौज آزاد ہند فوج)を率いて日本軍と合同でビルマから英領インドへ攻め込み、独立を勝ち取ろうとした独立運動の指導者(=“ネータージー नेताजी”の愛称で広く知られている)である。

この人物の生涯において劇的な最期の5年間(インドを脱出~飛行機事故まで)を描いた壮大なストーリー(と上映時間;約3時間半!)の映画らしい。

映画で使われる音楽のうちKadam Kadamという曲、いつか某F先生の授業で聴かせて貰ったインド国民軍の行進曲がそのまま再現されていた。


先週5月13日金曜日にデリーでの(一般公開としては?)初回上映の場には、実際にインド国民軍の一員としてスバーシュ・チャンドラ・ボースと共に戦った元兵士の面々が集まったようだ。
BBC Hindi : आज़ाद हिंद के जवानों की राय では、彼らがこの映画に対するそれぞれの思いを語った取材記事を写真付きで載せている。

なかなか興味深い内容なので、拙い訳ながらも日本語で紹介してみることに・・・。

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この映画を見て格別な気分だね。ただ残念なのは、国中がこれほど長い月日を経てネータージーをこのように(再評価して)見る事ができるようになるだろう、という事だ。実際この映画はもっと前に制作されて然るべきだった。この映画についてとやかく言い合うよりも、まず多くの人々に映画を見て貰うべきだよ、人々がネータージーの事を知り、彼の行動に勇気付けられるためにもね。
◆Lieutenant (中尉?) ダリープ・スィン氏◆



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とても良い試みだね。あの頃の自分たちに戻ったみたいな感じがしてるよ。今となっては(当時の状況を)そのまま(再現して)見せる事は無理だけど、シヤーム・ベーネーガル監督の作品はよくできているよ。僕たちから言いたいのは、この映画がもっと以前に作られるべきだったという事だけだね。だけど今からでもまだまだ遅くはないよ。この映画から若い世代が(多くのことを)学んでくれるだろうね。
 ◆Lieutenant (中尉?) ハルバンシュ・スィン氏◆



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この映画の事でシヤーム・ベーネーガル監督には感謝の辞を述べたい。(あの時からこれほど)月日が流れた後で(という意見)はもっともだが、彼はネータージーについて作品を撮ってくれたのだから。難癖をつけてばかりのフォワード・ブロック फ़ॉरवर्ड ब्लॉक (S・C・ボースが国民会議派を脱退後、自ら旗上げした政党)に、これらの(映画でのネータージーの描写;特に結婚&死亡について)疑問を投げかける権利など全く無い。彼らがネータージーのためにした事こそ一体何だとゆうのだ、ネータージーの名のもとにこれほど騒いでる輩だというのに。
◆Captain (大尉?) S・S・ヤーダヴ氏◆



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この映画はとっても気に入ったよ。軍隊の兵士たちや戦闘シーンを詳細に描写しようという努力がしてあるね。とはいえ、まさしくあのままを写し撮ることはできないもんだね、あの頃僕らが体験したものを。今でもあの頃の記憶は健在だよ、そんで(今日この)映画を見たら記憶がさらに鮮やかに甦ったね。この映画から(今の)人々が十分にいろいろなことを学び得るだろう。
 ◆Captain (大尉?) ベール・バハードゥル氏◆



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なかなか良い映画だね。そんでこの映画を見て幸せな気分さ、何はともあれネータージーの名前で何がしかのモノができたのだから。ネータージーは輝かしい人格をお持ちなお方だったよ。ネータージーについて出来たこの映画から、インドの若い世代が多くの学ぶべきことを見つけるだろうね。この映画から、そしてあの方の人格から人々が教訓を得ることを望むよ。なぜならあの方のおかげでこそこの国は独立を成し遂げたのだから。
◆Captain (大尉?) プラディープ・スィン氏◆



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映画は満足のいくものだったよ。あとは(ネータージーのオーストリア人秘書との)結婚のことについては言っておかないとね。ネータージーが結婚していたなんて自分は当時全く聞いた事は無かったよ。まぁ、この映画を制作するにあたってインド国民軍のメンバーから意見をきいていたら、多分もっと素晴らしい映画に仕上がってたんじゃないかな。フォワード・ブロックのやつらは選挙を争って、そんで政府のイスにおさまってるのさ。あの時ネータージーに反対してたやつらと手を結んでね。
 ◆Lieutenant (中尉?) ターラー・チャンド氏◆



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ネータージーが結婚していたという話は本当だと思うなぁ。でもネータージーはいつも三角帽子を被っていたわけじゃないよ、映画の中で描かれてたみたいにはね。フォワード・ブロックの人々は自分たちに都合の良いように、こういう(結婚していた事とか飛行機事故で死亡した事とかについて)疑問を投げかけるけどね。(事実と)まったく正反対なことを言っているし、あの人たちはネータージーと特に大した繋がりがあったわけでも無いのに。確かにこの映画が僕たちの意見を参考にして出来ていたら、もっと映画にリアリティーが出てただろうね。
◆Captain (大尉?) ショーバーラーム氏◆


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1945年8月18日にスバーシュ・チャンドラ・ボースが飛行機事故で死亡した事を認めない人々もインドにまだまだいるようだ。
以前『Hindustan Times』のWeb版でも“ネータージー特集”が組まれたみたいだが、そこでも全体的に事故を否定してボース生存説を検証している。
※実際そのサイトの中では、死亡ではなく“disappearance” と随所に記されている。

しかしそういう意見に対して困っている人々はインドだけでなく日本にも。
戦時中にインド国民軍と関わりがあって、ボースの事故や最期を看取ったという証言を集めたり、S・C・ボースの遺骨を日本に持ってきて保管している方々である。
Subhas Chandre Bose Academyより;主催者の方が高齢のため2004年に解散になったとのことです。)

なかなか複雑な状況である。

現在は東京都杉並区和田三丁目の蓮光寺という場所に安置されている。
(2001年12月9日在任中だったアタル・ビハーリー・ヴァージペーイ अटल बिहारी वाजपेयी 元首相も来日した際ここを訪れている。)
なんかJR高円寺駅から歩いていけそうなので、今度行ってみようかな・・・。
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by ek-japani | 2005-05-20 00:43 | ニュースより
このまえ・・・
ついこの間、4月30日の話である。

仕事が終わって家に帰る途中、新宿で私鉄に乗り換えた時のことである。
いつもは本を読みたいので列車を1~2本待ってから座って帰るのだが、その時はGWで多少帰宅ラッシュも軽く列車が空いていたので、ずっと立ったままなのを覚悟で早く帰るべくホームに停車していた列車にすぐ乗り込んだ。

そうしたらビックリ、そのドア横の座席に2人明らかにインド亜大陸系の方々がいらっしゃるではないか!!
1人はサーリーを召したやや年配の婦人、もう1人はその息子と思しきカジュアルな服装の青年だった。女性の方がサーリーを身に着けていたのと、今しがた空港から来たのを示すスーツケースにはエア・インディアの札が付いていたので、インドからお越しになっているのは判別できた。あと顔つきから漠然と北インド出身であろうと予想できた。

普段は、というか今までそんな事を一度もしたことはなかったが、何となくヒンディー語で話しかけてみたくなった。その考えが浮かんでからも実行するかしまいか、あれこれ迷った。しかしこんな偶然の重なり+少し都合の良い状況(相手が電車で近くにじっと座ってる&独りではない)とあって、かな~りドキドキしながらも不審な日本人第1号として声を掛けてしまった。

通勤電車の中いきなり初対面で話しかけたので話が弾んだわけでもないけど、降りる駅が偶然にも一緒だったので到着するまで40分程のあいだ、何だかんだと車内でポツリポツリ質問を交わしながら過ごした。
青年の方は日本で仕事をしているというので、エンジニアかと思ったら財務関係の仕事らしい。(日本でインド人を雇う企業の分野も多様化してきているのだろうか?) 日本には未だ2ヶ月くらいで、しかもまたさらに2ヶ月したら帰国する短期の駐在らしいが、企業の研修で日本語を習ったのでいくらか話せるようだった。(最初少し日本語で返事されてたところを、自分が苦しいながらもヒンディー語で会話するべく無理やり雰囲気を持っていったので・・・)
そして一緒にいた婦人はやはり青年の母上様だった。実家のコルカタから日本に今日来たというので駐在期間中に息子と一緒に住むのかと思ったら、この連休を利用して日本を母親に見せるべくわざわざ招待したのだとか。何とも親孝行な良い話である。さらに都心ではなく箱根や鎌倉を観光する予定だというので、これまた素敵なプランである。

最後の方は質問も途切れて互いに黙り込んでしまい気まずい雰囲気にもなったが、久しぶりにヒンディー語で会話したので後々思い出すと楽しかった。これに味をしめて街中で見かけたらヒンディー語話者らしき人にどんどん話しかけようか、ますますアヤシイ日本人である。(でも相手が急いでたりしないか、など状況をまず考慮して話しかけよう。)

それにしても聴き取り難い自分のヒンディー語に耳を傾けて理解に努めてくれただけでなく、「ヒンディー語ができるなら大使館とかできっと仕事の口があるだろうよ」とか心配までして貰って、かなり親切な部類の人に出会えたのが幸運だった。

しかし何と言っても、久しぶりに話してみてヒンディー語の運用能力がかな~り退化しているのを実感した。
映画見たり、ラジオ放送聴いたり、本読んだり、ブログで使ったりとアレコレ足掻いてはいるが、やはり“口をついて出ない”というか面と向かって話す時に言葉が出てこない。頭の中から言葉が引っ張り出せても、さらに口、唇や舌などが上手く連動して音声にできない。やはり言語コミュニケーションは一義的には身体運動なので、日々の積み重ねがそういった面でも大事なのだろう。
(もちろん元からそれほど話せたわけでもないってのが一番の理由なんだが・・・)

でも、「どうしてヒンディー語を勉強する事になったの?」と尋ねられて、「運命がそうさせたんだ क़िस्मत ने मुझे ऐसा बना दिया」 と何故か即座に答える事ができたのには自分でも???
普段そんな事思ってもないし、今まで同じような質問にそんな風に答えた事も無かったので、言った後で自分でも訳わからんズレた返事だなぁと思った。いったい何だったのでしょか?
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by ek-japani | 2005-05-04 03:48 | 言語