<   2007年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧
ざ・ねーむせーく
c0072728_75419100.jpgけっこー楽しみにしてた『নেমসেক』を観てきました。というわけで内容や感想をとにかく思いついたまま散漫に書き綴ってみました。

※ちなみに、個人的な覚え書きのつもりなので、これから見る人には映画のネタバレ(もしくは逆に、未だ観てない人には意味不明)になってたとしても、とことん責任は逃れさせていただきますよ~。

ところどころでコルカタのハウラー橋とニューヨークのブルックリン橋(?)が映し出されるのが印象的でした。アスィーマー がゴーゴリ出産のため入院した病室の窓から見える橋がとくに描写されてる理由が当初よくわからなかったんですが、そのあとで列車事故後にアショークの病室(?)の窓からハウラー橋が見えるシーンでようやく意味つながった気がしました。
で、それとはまったく話が飛びますが、その他にもコルカタっ子の郷愁を誘いそうな街の風景がいろいろ出てくるので、不覚にも某「凝る肩」CMが思い出されました。


渡米してコルカタの家族と離れ離れの暮らしを送る羽目になり、その後今度は子供たちが大学進学を機に家を出て以後ろくに連絡もよこさなくなった時期に、アスィーマーが(たしか、図書館の仕事中に仲の良い同僚に愚痴をこぼしているシーンで)口にした「2度の家族の喪失」という言葉が何か心に残りました。
この映画の主人公たちのように国境・文化的境界を越境した、いわゆる「移民」のケースと同列に扱うつもりでは無いのですが、もしかしたら自分の家のように地方から都市部への「国内移住民」の場合にもある種共通する感覚なのかもという気がしました。うちの両親は就職を機に首都圏に移住して早うん十年という国内的「移民1世」でして、特に母親は実家がわりあい遠く両親も早くに亡くしているせいもあり、そちら側の親戚づきあいはほぼ皆無。そして「移民2世」の自分は同居の身ながら何だかんだと忙しく、せっかく用意してくれた食卓に不在がちだったりすると、たまになんとも申し訳ない気分になるわけです。なので、勝手な思い込みかもしれませんが、アスィーマーみたいな喪失感というか寂寥感というか、わが家で母親も感じてたらどうしよう・・・と少し考え込んでしまいました。まぁ、あの白人系アメリカ人の同僚の言うように「16歳過ぎたら親にもう寄り付かなくなるのが普通」と割り切る感覚も当然持ち合わせてるとは思いますが、それでも何か余計な心配混じりに観てしまいました。
身内話が長引きましたがとにかく、このような「家族」というものに対する感覚のズレも、移民家族が世代間・文化間で直面する問題としてうまく作品中に取り込まれてると思いました。


ボーイフレンドの母親であるアスィーマーの前でゴーゴリにベタベタくっつこうとしたり、アショークの葬式に駆けつけた際に上着を脱いで肌(二の腕)を露出したりなど、いろいろと恋人マクシーンの文化的KY具合がなにげなく描写されてるのも印象的でした。あとKYではなかったけど、同じく葬式のシーンで、玄関の外にあった多数の靴に倣って自分も靴を脱いで家に入っていくシーンとかは、日本的家屋の感覚に慣れてる観客としては当然過ぎて、クローズアップされると逆に違和感を感じました。あれは白人系アメリカ人のマクシーンが、それまであまり意識しなかったゴーゴリの文化的バックグラウンドへ文字通り足を踏み入れる第一歩として特に強調したかったんですかね。


渡米して間もないアスィーマーが(まだ慣れてなくて外に買物に行けないが空腹に耐え切れず?)キッチンの戸棚からシリアル引っ張り出して、さらにチリパウダー?それともコリアンダーパウダー?を小さじ一杯分投入してたのが少し衝撃的。あんなナムキーン風な食べ方もあり?とか一瞬思ったけど、さすがに味はアレでしょーかね~(誰かあれを真似した人はぜひとも感想を・・・)。


同じく食事シーンでは、父親のアショークが手で食べてるのと対照的に、移民2世のゴーゴリとソニアはスプーン使ってるのがさりげなく印象的な描写でした。世代間・文化間のギャップや、思春期の若者の親への何気ない反抗具合が、食事という家族の日常を描くのに最適な状況において、セリフ以外の部分でも上手く組み込まれてる感じでした。・・・でも、妹のソニアがテーブルに横向いて壁に凭れてメシ食ってるのは躾がなって無さ過ぎじゃね?アショークちゃんと叱っとけ!とも思いましたが。


ベンガル語のセリフには日本語字幕の真下に英語字幕も入るので、作中で頻繁に起きるセリフ言語の切り替えが日本語字幕を追ってても判明しやすい点は今回なかなか良いと思いました。けっこーこの言語スイッチは発話の背景にある心情を表現する上でも重要な手段でしたね。とくに、父親の急な死を契機にゴーゴリが自らの文化的アイデンティティーの「目覚め」を経験する部分で、空港で待っていた母親に(観客の前では初めて)ベンガル語で語りかけた瞬間とか。


映画のイントロやエンディングでベンガル文字が効果的に使われてるのも何か良かったです。フォント拡大しないと読みづらい!(この一番上の『ねむしぇく』みたく)とか何かとマイナスイメージが個人的に最近強かったあの文字が、今日は久しぶりにステキなものに見えました。

そういえばエンディングに流れるキャストの中に原作者のジュンパー・ラーヒリーの名前も見つけたのだけど、いったいどこで登場してたんだろう・・・。


その他にも意味を図りかねた描写がいくつか。とくに、ゴーゴリが死んだアショークの単身赴任先の部屋を整理するために訪れたシーンで、壁際にバタのゴム草履と並んで置かれていたアショークの革靴を履いてみるゴーゴリの描写とか。


字幕に出てくる人名についてはベンガル語読みだとわりきって、母音長短は気にしないでもOKだと思いきや、「アショケ」に何とも脱力!まぁ原作の綴りが「Ashoke」だったせいなんでしょうが・・・。日本版公式サイトの人名表記が「ミーラー・ナーイル」(たしか『モンスーン・ウェディング』公開時は「ミラ・ナイール」だったはずなのに)とかなってるのを鑑みると、さらにカナ表記の基準が意味不明な感じに見えてきます。これは原作本の日本語翻訳版の表記を尊重した結果、やむおえず採用した表記なんでしょうか。でも、何回聞いても「アショケ」とは聞こえないので、小説ならともかく映画の字幕としてはかなり無理があるかも・・・。
[PR]
by ek-japani | 2007-12-30 08:09 | 映画
ごだいご
この前某テレビ番組のゴダイゴ特集を偶然見たのですが、昔カトマンドゥのサッカースタジアムで6万人?(当時の市内人口の4分の1)が来場したとか。そん時の様子をゆーつーぶでも見ましたが、何かスゴイですな・・・。しかも「何だか分からんけど来てみた」な観客のやじ馬な雰囲気が良いです。

再放送が月曜の深夜にもあるそうなので、興味ある方はどうぞ。他にもトルコやイラン、インドのヴァーラーナスィーのガートで演奏してる昔の映像とかありました。海外旅行自由化以後~バブル経済以前のバックパッカー第一世代?な時代の空気を少し感じました。
[PR]
by ek-japani | 2007-12-16 21:29 | テレビ