Sur Ki Bazi
こないだ池袋の某料理店内のテレビで偶然見かけたのですが、なにやらこんな番組が始まるようです。



パキスタン側Geo TV 主催の各オーディション会場には、パキスタン各地からアーティフ・アスラムに憧れる若者が多数押し寄せている模様。



これも二カ国の国交が比較的友好な状態を近年維持している証左の一つでしょうか。にしても今さらヒメーシュ・レーシュミヤーを連れてこなくても・・・。個人的には、何だか方向性が違いすぎて「対決」って感じがしないんですが。

ちなみに、この番組ってインド側のカウンターパートはどこのテレビ局がやるんでしょうね

※1月23日追記:Sahara One のようです。ちなみにインド側の番組タイトルは、マハーバーラタの戦場の名をもじって「Sur Kshetra」とのこと。



※1月25日追記:他にも印パ対抗物のテレビ番組でこんなのが。

こちらはなんだか「料理の鉄人」風の料理対決らしいです。
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# by ek-japani | 2012-01-22 22:47 | テレビ
まだる いんでぃや
ようつべで半島放送英語チャンネルのこんなドキュメンタリー番組を見ました。



もはや一大新興産業の様相を呈しているインドの代理母出産への賛否はともかくとして、この比較的新しい医療技術および制度をとりまく現実の諸相が、そこに人生の希望や新たなチャンスを見出そうとする人々の姿を通して克明に描かれています。

ドキュメンタリーのなかでは主に、1)結婚後8年間子供に恵まれない夫婦、2)家計や子供の将来のため代理母としての出産を決めた若い母親たち、3)国内外に次々と事業拡大している病院の女性経営者、という三か所に焦点が当てられていますが、とくに1)の夫婦が印象深かったです。

二人はこれまでにも不妊治療の試みに失敗しており、今回は一縷の望みを託して西ベンガル州の小都市からはるばるハイダラーバードまで診療を受けに足を運びます(ただし、人工授精などの手段によっての妻自身による懐妊出産が目的で、代理母出産を意図して訪れたというわけではなさそうです)。夫婦へのインタビューや二人の間で交わされる会話を通じて、子供ができないが為に日々感じざるを得ない社会的圧力やそれによる精神的苦しみが具体的に語られていき、また、それらの語りを通じて不妊治療をめぐる夫婦間での微妙な距離感なども徐々に明らかになっていきます。

個人的に興味深かったのが、旅立つ前の二人が寺院にお参りした後で老人に、ヒンドゥー神話におけるバララーマの逸話をカメラに向かって語らせるところです。「妹の産む子供によって殺される」との予言を恐れる伯父カンサ王の手にかかる寸前で、神話的奇跡によって母親の胎内から別の女性の胎内へと転移して無事出生した逸話が、現代の生殖医療技術になぞらえられ、それを肯定するものとして語られていました。このような解釈が要請される背景には、新たな生殖医療に対して倫理的な面などで依然として拭いきれない不安があるようにも見えました(制作者がどうしても「インドといえば宗教」なシーンを織り込みたかっただけのような、若干無理やりな印象もなくはないが・・・)。


また、2)の代理母となることを選んだ女性たちが主に二人ほど登場します。代理出産の莫大な報酬もさることながら、それによって付随的にもたらされる社会的・心理的なモノ(たとえば、夫など親族に対する家庭での発言権、家計を支えている自負心、子供に授けられる高い教育や将来への希望、などなど)も、これらの女性たちにとって少なからず大きな意味を持つのだろうなという感じがしました。

ただ、まったくの「搾取」とまでは言わないまでも、国外から多くの顧客を集めるインドの代理母ビジネスを根本的な部分で成立させている条件が、絶対的な富の不均衡である限りにおいて、やはりどうしてもわりきれないものが残りますな。売春や臓器移植などと同じように(全く同列に語るつもりではありませんが)、倫理的な是非をめぐる議論を横目に、裏で密かに着々と経済的弱者への様々な面での搾取が横行しやすそうな危うさを感じます。


あと、3)の病院の女性経営者が、今でこそバリバリと事業拡大に邁進するものの、かつては左派活動組織に勤務していたというのも、時代の変遷を示すものとして何やら象徴的でした。
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# by ek-japani | 2012-01-09 07:59 | テレビ
सत्याग्रही भूख हड़ताल की हिंसकता?
最近読んだこんな本に、こんな一節がありました。やや長いけど以下がっつり抜粋。
.... Politics inspired by dharma has always had a place for the righteous use of force. All wars in modern history have carried with them some justification in the name of the good, the right, or the just. The recourse to armed resistance against an oppressive regime is still widely regarded as a legitimate political method. The national movement in India saw much spirited debate on this question and the Bhagavad Gītā was widely cited as a canonical text justifying the righteous use of force against injustice. Even the Gandhian movement which expressly abjured the use of violence had a place for the exercise of force. The intention behind the non-violent satyagrahi breaking the unjust laws of the state was to bring the violence of the state on his or her body; indeed the intention was to invite the agents of the state to use force against the satyagrahi. When the state refused to employ force, the last weapon of the satyagrahi was the fast unto death, which was a way of doing violence to one's own body and holding the state responsible for it. The relation between violence and the politics of dharma is, I think, deep and inseparable.
  [Chapter 4 'The Rule of Subjects', p.71-72 イタリック原文]

前近代から植民地期および独立後の近現代にかけてのインド在地の政治諸概念の推移、とりわけ「ダルマ」と「ニーティ」をめぐる大枠の議論の流れとはやや外れた試論的な部分(著者自身も上記引用部の直前に「deserves more extended treatment than is possible in the space of this chapter」と断り書きを入れてる)にすぎないのですが、個人的には本書の中でとくに興味深く印象に残りました。とりわけ後半のくだり、最近アンナー・ハザーレーで再度注目の高まっているサッティヤーグラヒー的政治主張手段であるハンガーストライキについての部分が。

もちろん、非暴力主義に依拠した政治運動において自らの肉体を対象にした暴力がその正当な手段としてときに用いられる、という見解は異論も多いかもしれませんが、これが妥当かどうかは別の話として、まぁともかくこういう見方も成り立つのだなという程度までに。

ちなみにインドの出版社からでてる版のほうが表紙がかっこよかったりする・・・。
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# by ek-japani | 2011-11-26 14:34 | 書籍
わいでぃすこらべりでぃ?
このタミル映画ソング、なにやらここ数日ようつべで俄かに大ヒットしてるようです。(といっても、馬鈴薯卵のときと異なり、多分に商業的テコ入れが大きく背後で行われている雰囲気でもありますが。)



上の動画のコメント欄に多く寄せられている否定的感想とおなじく、最初に聴いたときは何でこの曲がそこまで話題になってるのか自分にもピンと来なかった・・・・のですが、何回か聴いてみるとマイナー音調の微妙なメロディーと単純で退屈な感じのリズムが微妙に耳を浸食してくるような感じが。耳にねっとり絡みつくような感じでパッと耳にした感じ決して耳触りの良い曲ではないけど、何だか気がつくと耳に残ります。

しかもこれに被さってくるのが、やたら語末に母音が挿入される南インド訛り爆発なブロークン英語歌詞で、なんとなく全体的に語末の「う」であたかも韻を踏み続けているかのように響きます。
ヒットの大きな理由としてこの歌詞の面白さがあるようですが、字幕のローマナイズ表記の歌詞をみる限り、わざとコテコテな雰囲気を出すために英語フレーズ部分の訛りを戯画的に強調してる点や、タミル語とのチャンポン的組み合わせ具合などの点から何となく推測できるけど、結局のところタミル語話者でないと感覚的にその面白味は理解しきれなさそうな感じがします。

ところで、同じように閉音節の語末を開音節として発音しがちなジャパニーズ英語的な感覚からしても、「black-u」「girl-u」とかならまだしも、「colour-u」「tear-u」「future-u」「skin-u」とかまでくると強烈ですね・・・。



11月29日追記:アムール・バターがさっそく広告ネタに・・・。「かろぇぶり、かろぇぶり、かろぇぶりでぃ~」とな。
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# by ek-japani | 2011-11-25 19:08 | 音楽