何となく豆を食べたくなった。。。
自分の家では母親がいつも自分専用に玄米&大豆(などその他無数の豆・穀類)のご飯を炊いて、禅寺のような食生活を独りで実践しているので豆は欠かせません。 しかし自分が最近食べたくなったのはチャナー豆(चना چنا:ヒヨコ豆)とかマスール豆(मसूर مسور:レンズ豆)とかナントカかんとか。 例の大久保フジストア(配置換えしてた!少し雑多な感じが無くなって寂しい。)で、棚を眺めていた時に積まれてた様々な種類の豆の袋が眼にとまったのがキッカケである。 最初むしろ気になったのは中身よりもむしろ袋のほう。 今までは大手Ambika Japanの“Uttam”ブランドのやつだったけど、いつの間にか一部商品を独自ルートで輸入してオリジナルの包装で販売しているのに今更ながら気がついた。 ちゃんと袋の裏面にはフジストアの住所やHPのURLなども記載されてるし、お店のオリジナル商品の包装としては完璧である。 ちなみに輸出元はラージャスターン州のジャイプル जयपुर にある会社らしい。 しかも“Keep Tokyo clean”が何とも言えぬ雰囲気を出してるような・・・。 (こんな豆が入った袋を街中でポイ捨てする人が一体どこかにおるのだろうか・・・。) それから豆で何か料理をしてみようかと、しばらく棚の前で考えた末にホンモス(حمّص:アラブ料理で付け合せに出てくるヒヨコ豆ペースト)を何となく食べたいと思ったのでヒヨコ豆を1袋購入。 久しぶりにダール दाल دال も作ろうかと思いレンズ豆もついでに1袋。ムーング豆(मूँग مونگ:Toor豆?和名は何だったか忘れた。)の方にしようかとも思ったけど、あまり自分で使った事が無かったので今回はレンズ豆に決めた。 その結果はこんな感じ・・・。 ホンモスは少し味が薄くなってしまったけど、まぁ薄い分には後でいくらでも調整できるので。 ※さらっとしてると写真に撮った時にノッペリしてよくわかんないかも知れんと思い、この写真のは水で粘度を調整してないので少し固め。クミン(ज़ीरा زیرہ)が家で切らしてたので残念。おろしニンニクとレモン汁も食べる前に入れていろいろ味のバランスを調整してみたり。 問題はレシピを勘違いして、水で戻す前にカップで測ったので豆が多過ぎに。ついでにそのままホンモスも作りすぎてしまった、うひょ。(即座に知り合いおすそ分け作戦で消費に成功。あんまり日持ちするもんでもないだろうし早めに・・・。) ダールにもクミンが無いうえに、ちょっと今回参考にしてみたレシピ(← ムーング豆を使うことになってるが、レンズ豆で作ってみた。)がニンニク(लहसुन لہسن)&タマネギ(प्याज़ پیاز)を使わないものだったので少しモノ足りない感じも。でもギー(घी گھی)とそれで最初に少し炒めたショウガ(अदरक ادرک)の香りが効いてて、こういうもんなのかなという思い込みも・・・。 ・・・豆もまだまだ大量に余ってるけど、まぁすぐ腐るものでもないし。自分が使わんでも母親が消費するかも知らんし。 気楽に豆ブームはまだ続く予定・・・。 #
by ek-japani
| 2005-06-25 07:02
| 食
最近何か無性~に新しいCDを聴きたくなった。
以前からそんな気分の時には、HMVのワールドミュージックの棚でインド系の音楽をあたることが多かった。 しかし今回は少し聴く音楽の幅を広げてみようと、同じワールドの棚でも隣のアラブ・中東の方を探してみた。(この前あるインド映画で使用されたある曲がアラブポップからの流用だったのを知って、何となくそっち方面にもちょっと手を出してみようかと。) といっても、予備知識も無く~イキナリCDのジャケットとかで判断して~適当に選んで~、な~んて買い方ができるほど自分には予算も度胸も無いのである。そういう訳でアラブポップマニアな方々のブログなどを参考にあれこれ覗いてみた。 その中でイラク出身の歌手カーズィム・アッサーヒル كاظم الساهر の昨年末に出た最新作『Ila Tilmitha الى تلميذه』 (=『女学生へ』 :あるアラブ地域専門家兼アラブ音楽マニアの方のブログより。)が何となく良さそうだ、と思った翌日都心に出たついでに渋谷へ寄って探してみた。 渋谷のHMVで棚に置かれていた最後の一枚を無事に見つけた。 しかしその他にも同じアーティストのCDがあるか見てみたけど無い。というか全体的にワールドの棚が以前より規模縮小されてるような気も。(というより韓流ブームでK-popのスペース拡大の分で削られてるのか。) そういう訳で(長い前置きだが…)以前から存在と場所は知っていても、未だ1度も行った事の無かったワールド専門(なのかな?)のレコード屋(という言い方は古いのかな?)に行って見ることにした。 それが宮益坂を少し登ったとこにある“EL SUR RECORDS”である。 場所は少しウロ覚えだったが、郵便局の道路を挟んでハス向かいの辺り、ビルの2階、位の目印であっさり見つかった。(詳しい場所は↑のリンク先、店のHP参照されたし。) このお店はサラーム海上さんという方のレコード屋である。(日本で販売されてる「インドもの」CDなんかにライナーノーツで名前がよく載ってたりする。自称“よろずエキゾ風物ライター”らしい。) 以前ブログを見た事があるが、ヒンディー語映画で有名な作曲家集団“シャンカル・エヘサーン・ロイ शंकर एहसान लॉय”の1人、シャンカル・マハーデーヴァン शंकर महादेवन などに、今年1月“リメンバー・シャクティ”の日本公演の際にインタビューもなさったらしい。 そんなわけでアラブ音楽のCDを探しに来たはずが、店にあったインド映画音楽のCDのほうに購買欲が向いてしまった。 映画音楽のCDの中では、前述のシャンカル・エヘサーン・ロイとA・R・ラフマーン ए.आर. रहमान が作曲したものが割と多い感じだった。 まず映画『Paheli पहेली』と『Bunty aur Babli बंटी और बबली』のCDが新しく入荷していたので購入。(あと一番最近のでは、カラー化してリヴァイヴァル公開された『Mughal-e-Azam मुग़ल-ए-आज़म مغل عاظم 』の音楽リマスター版CDがあった。) 他にもA・R・ラフマーンが音楽を担当した中国映画『天地英雄』 (英題『The Wariors Of Heaven and Earth』/邦題『ヘブン アンドアース 天地英雄』:ちなみに中井貴一も出演してる。)のサントラ盤『Between Heaven and Earth』も見つけたので購入。 とまたこういう訳で、けっこ~当初の予算オーバーで買い物してしまった。 (カーズィム・アッサーヒルのCDも前述の新作以外にいくつか置いてあったが・・・もう手が出せんかったです。) あまり日本でヒンディー語映画のCDやDVDを買うのは現地に比べ高くつく(のは輸送費や人件費などかかるので当然だとは思うが、記載されてる現地販売価格(Rs.○○○)×大まかに3=△△△△円、という風に計算してしまうと、もう~ダメ。)と思ってたけど、なぜか今回は欲のほうが勝ってしまったようだ。(今回買ったやつは輸出向けインド国外販売用のCDだったので、ルピー表示の価格が表示されてないのが大きな要因かも。) ちなみにヒンディー映画のDVDもけっこ~新しいのを売っていた、やはり買い求めに来るマニア相手に良い商売になってるのだろうか・・・。(ざっと見た所、やはり輸出向けインド国外販売用のものが大体4000円程だった。) #
by ek-japani
| 2005-06-17 09:43
| 音楽
最近こんなサイトを発見した・・・。
◆ A Door Into Hindi ◆ アメリカのノース・カロライナ州立大学 外国語・文学部でヒンディー&ウルドゥーを教えているアフローズ・タージ अफ़रोज़ ताज افروز تاج 助教授という人が運営しているサイトのようだ。 ヒンディー語オンライン教育のためのサイトなのだが、ちゃんとUnicode対応でヒンディー語が入力されているので文字表示の上で問題は少ない(はず)。 Web上でのヒンディー語オンライン教育のコンテンツならインド政府内務省 公用語庁 のサイトにも同じような趣旨のものがたくさんあるけども、こちらはオリジナルのフォント、というかユニコード規格外で不親切なフォントを使っているので、けっこ~文字表示に難ありの場合が多い。 ※ちなみに他のインド政府関連サイトでもヒンディー語ページが基本の英語ページと併設されてる事が最近多いようだが、それらも同じ状況である。一部のヒンディー語(マニア)ブロガーは「なぜ今時ユニコードを使用しとらんのだ!所詮は政府のアホ官僚の仕事だわな。」という感じで見ているようだ。 アメリカ合衆国連邦政府 教育省の支援も受けて運営されているらしい。 しかし2003年頃に開設したらしいのだが、いかんせん全部で24課あるレッスンの内容が未だアップされてない部分が随所にある。サイトの見かけは良いのだが、何か途中で頓挫しかけてる印象である。 それでも一番おもしろいのは、各課の例文会話の状況を5分程のビデオスキット(動画ファイル)で再現して見せてくれている点である。(もちろん動画ファイルが未だアップされてない課もたくさんある。) その再現ビデオスキットがNHK教育テレビ(関東圏では3ch)で放送してる小学生用の番組みたいな雰囲気で見ていてたくさんツッコミ入れたくなる感じである。 例えば各課のビデオに必ずインド映画を意識したのか、意味不明なナンチャッてミュージカル・シーンが挿入されるている事である。それが出演者の微妙にツッコミ入れたくなる素人具合とあいまって興味深かったので、アップされてるのは一気に見てしまった・・・不覚。 何でなのかよくわからんけども、(アップされてるのに限っては)全課で律儀にミュージカルがあって製作者の意味不明、むしろ「ヒンディー教えるなら映画のようなダンスシーンも見せなければならない!」みたいな固い決意を感じる。 (しかし再生中にQuick TimeがPCごと突然固まることもあるので、再生には注意を。) また初級の方だと未だ複雑な例文を出せないので、どうしても会話が単調で非現実的な感じになってくる。けれども第1課のビデオスキットでは、2人子連れの中年オバサンが野菜売りの人に対して「アレはあるか?コレはいくらだ?ソレは良いか?」とか単調な質問をぶつけるのだが、何かこういう風に買い物するオバサンいそうだな~、という感じもするので密かに良い配役&状況設定である。 答えるほうの野菜売りのオニイサンは恥ずかしそうに「セリフ言わされてる~」感を前面に出してるのも良い(もはや何でも褒めとく)。 よくよく真面目に考えると、このようなヒンディー語教育教材の需要はアメリカなどNRIs (Non-Resident Indians:海外在住のインド人、概念としては一時的な出稼ぎから帰化して数世代も経たようなインド系移民まで幅広く含む) が多い地域で高いのだろう(、また今後更に増加するかもれない)。 海外の英語環境で育つNRI移民2世・3世の子供に「母語」として教育するため、という場合も現在では数多いと思う。 (そういえば最近の版の『Teach Yoursef Hindi』(著者:Dr. Rupert Snell / Simon Weightman、←写真;左)では実際に例文に出てくる登場人物がそんな感じだった、とウロ覚え。) ビデオの中でもそんな感じの人がちらほら。第15課に出演してるNRIらしき女の子の発音は一緒に出てくるオバサンに比べて何かたどたどしい。 サイトの責任者であるアフローズ・タージ助教授はアリーガル अलीगढ़ علیگڑھ ・ムスリム大学を経てJNUという経歴のようで、ヒンディー語とウルドゥー語は基本的に2つで1つの言語だという考えらしい。 それもあってか“A Door Into Hindi”の姉妹サイトをウルドゥー語でも一応作るつもりであるらしい。 ◇ A Door Into Urdu ◇(こちらは本当に全然何もアップされてない、僅かに1章だけ。) #
by ek-japani
| 2005-06-13 07:31
| 言語
またまたBBC Hindi より・・・。
■2005年6月11日:गरम है भोजपुरी फिल्मों का बाज़ार ※同じような話が英語で書いてあるのはこちら。 全然知らなかったが、最近 *ボージプリー भोजपुरी で制作される映画が活気付いて来ているらしい。 *ヒンディー語の方言として分類される一言語の名称(詳しくはリンクを参照) 以前からもボージプリーで映画は制作されていて、地元(ビハール州&ジャールカンド州とUP東部の一部)の各地では細々と街の映画館にて公開されていたらしい。だけどもボージプリーで映画を制作するなんて三流のやる仕事だ!とゆう感じで、ヒンディー映画界の著名な人々が参加する事など今までは全然なかったらしい。 しかしここ数年の間に状況はかなり変わってきたとのこと。一部の勇気ある制作者がしっかりと予算をかけ、プロの俳優や音楽家と組んでより良い脚本の選定を行なったのがキッカケだそうな。 そこからはどんどん好循環である。 ①良作が公開→②観客が映画館に集まる→③ボージプリー映画が再評価→④他のボージプリー映画の客足にも好影響→⑤ボージプリー映画の業界全体がさらに盛況&作品の質向上→⑥予算増加&イメージアップでヒンディー映画の著名人も参加→⑦さらに観客&上映館の増加、上映地域も拡大・・・・という具合である。 特に⑥の段階の有名な話では、ヒンディー映画の女優ジューヒー・チャーウラー जूही चावला もボージプリー映画に出演する らしい。 またプレイバック歌手として有名な ウディト・ナーラーヤンउदित नारायण は何とプロデューサーとして制作した『Kab Hoi Gauna Hamar कब होई गवना हमार』(『 いつかしら 私の嫁入り?』) というボージプリー映画がヒットして、現在ムンバイーやデリーの映画館でも公開されている らしい。(ちなみに映画タイトルを連邦公用語的な標準ヒンディー語にすると『Kab Hai Gauna Hamara कब है गौना हमारा』 だろう、“गवना”の綴りでは辞書(The Oxford Hindi-English Dictionary)には載ってなかったが、この映画のローマ字表記タイトルから推測して引きなおしてみたら《280p“गौना”:女性が父親の家(*=実家)から夫の家(*=婚家)に(*初めて)連れて来られる儀式》とあった。*部分はブログ作成者) この現象はグローバル文化VSローカル文化の事例として考えると興味深い。 文化グローバル化現象の象徴とされ世界中に席巻するハリウッド映画、それに対置して国産映画の高い上映率と年間制作本数を誇るインド映画はローカル文化の象徴と考えられる事も多い。 しかしインド映画はローカル文化であると同時に、別の次元ではグローバル文化でもある。インド国外に向けては南アジアの近隣諸国をはじめ、東南アジア、中東アラブ諸国、旧ソ連の中央アジア&東欧地域などにも輸出されている。特に近隣諸国の映画産業にとってはインド映画が国産映画のシェアを食いつぶす大きな脅威となっている。 さらに「インド映画」というカテゴリーの内部でも同様のせめぎ合いがある。 どちらかとゆうと、南インド4州公用語(テルグ、カンナダ、マラヤーラム、タミル)の映画業界の間には住み分けがあるような感じだ。(あんまり詳しくないのでアレだが、お互いにヒット作をリメイクしたりしてるので、一つの言語の作品がそのまま他の言語圏の観客にもヒットする事は難しいと推測。) むしろ問題なのは北インドにおけるヒンディー語映画とそれ以外の地域言語による映画との関係である。近隣諸国の映画産業に対するのと同様に、ヒンディー語映画は地域内におけるグローバル文化という側面も持ちうる。 ベンガル語映画、マラーティー語映画、グジャラーティー語映画などがそれぞれの言語圏で制作されており、それぞれがヒンディー語映画にも劣らぬ伝統を基に良い作品を送り出している。(コルカタ発のベンガル語映画は『大地の歌』などの3部作でサタジット・レイ(ベンガル語ではショットジト・ロイ সত্যজিত্ রায় ・・・だったかな?)は海外でも有名だし、最近ではマラーティー語映画『シュワース श्वास』(=『眼』)が昨年度のオスカー賞外国語映画部門にインドから出展する映画として選ばれ話題を呼んだ。) それでも興行的な規模&シェアの比較で言えば圧倒的にヒンディー語映画に押されている、というのは北インドのどの地域でも事実である。芸術映画の分野での傑作や監督・俳優による話題作などが他の言語圏で何本か公開されるとしても、大衆文化の観点からどの地域言語の映画も産業全体としてはヒンディー語映画に対抗できるものではない。やはり優秀な人材&潤沢な予算を投じて制作されるヒンディー語映画の方が北インド一帯のどの街でも多く公開され観客も見に来るので、ますますヒンディー語映画の勢力が拡大するという地域内グローバル化の構図が出来上がってくる。 (なんか長々と本来はここのブログで書くような内容ではない感じもしてるが、前置きとしてやはり必要なので・・・。ここから本題。) それら地域言語の映画と比べると、ボージプリー映画が地域内グローバル文化であるヒンディー語映画と向き合う状況は微妙に異なってくるように思う。 一般的にボージプリーがヒンディー語の方言として下位区分に含まれるように、映画産業としても他の地域言語ほどはヒンディー語映画界から離れていない。 この事はボージプリー映画にとっては有利な点でもあり不利な点でもあると思う。 不利な点として考えると、やはり今までのボージプリー映画の状況のように“わざわざ何でボージプリーで?”という感じで、より多くの観客&興行収入を見込める「ヒンディー語」映画に人材&資金も持って行かれてしまうと思う。この意味ではヒンディー語圏外の他の地域言語より状況はさらに厳しいかもしれない。 しかし利点として考えるなら、実際にも上述のようにヒンディー映画界からの参入する場合、他の地域言語映画への参入に比べたら容易なのではないだろうか。(特にセリフを喋らなくてはいけない俳優にとっては。) また*話される地域が広大なので「ヒンディー語」というモノの内実も千差万別であるが、ボージプリーも多様でも一定の枠組みに何とか纏められる「ヒンディー語」である事に変わりはないとするならば、他の地域言語よりは地域外の観客に対して通用する度合いは高いのでは。とするならばヒンディー語映画が浸透してる北インドの広い地域で同じように流通する事は可能だろう。(かなり自分の私見、むしろただの予想。しかしボージプリー映画がデリーなど他のヒンディー語地域だけでなく、パンジャーブ州や西ベンガル州にも進出してるというので考えられなくもないと思う。) *主に州公用語がヒンディー語の州:西の方から順に挙げると、ラージャスターン、マッディヤ・プラデーシュ(通称MP)、ハリヤーナー、連邦首都直轄領デリー、ヒマーチャル・プラデーシュ、ウッタランチャル、ウッタル・プラデーシュ(通称UP)、チャッティースガル、ビハール、ジャールカンド、これらの州の地域を指す事が一般的(なのかな?)。 文化の勢力争いの中で対立する地域内グローバル文化を駆逐して取って代わるわけではないが、ローカルの側からそのローカル性を武器に一段階上のレベルでの地域内グローバルに参加を果たしたボージプリー映画、そういう意味で興味深い記事だ。文化的画一化だけでなく、地域文化の脱地域化というグローバリゼーションの側面を示していると思う。 もちろんボージプリーの中にも様々な地域の訛り、下位方言が存在するというので映画に使われる方言がボージプリー言語圏内での地域グローバル基準とまたなるのだろう。 (そうなると果てしなく細分化でキリが無い話になるので、、もうここらで・・・。) #
by ek-japani
| 2005-06-12 10:54
| ニュースより
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