このまえ・・・
ついこの間、4月30日の話である。

仕事が終わって家に帰る途中、新宿で私鉄に乗り換えた時のことである。
いつもは本を読みたいので列車を1~2本待ってから座って帰るのだが、その時はGWで多少帰宅ラッシュも軽く列車が空いていたので、ずっと立ったままなのを覚悟で早く帰るべくホームに停車していた列車にすぐ乗り込んだ。

そうしたらビックリ、そのドア横の座席に2人明らかにインド亜大陸系の方々がいらっしゃるではないか!!
1人はサーリーを召したやや年配の婦人、もう1人はその息子と思しきカジュアルな服装の青年だった。女性の方がサーリーを身に着けていたのと、今しがた空港から来たのを示すスーツケースにはエア・インディアの札が付いていたので、インドからお越しになっているのは判別できた。あと顔つきから漠然と北インド出身であろうと予想できた。

普段は、というか今までそんな事を一度もしたことはなかったが、何となくヒンディー語で話しかけてみたくなった。その考えが浮かんでからも実行するかしまいか、あれこれ迷った。しかしこんな偶然の重なり+少し都合の良い状況(相手が電車で近くにじっと座ってる&独りではない)とあって、かな~りドキドキしながらも不審な日本人第1号として声を掛けてしまった。

通勤電車の中いきなり初対面で話しかけたので話が弾んだわけでもないけど、降りる駅が偶然にも一緒だったので到着するまで40分程のあいだ、何だかんだと車内でポツリポツリ質問を交わしながら過ごした。
青年の方は日本で仕事をしているというので、エンジニアかと思ったら財務関係の仕事らしい。(日本でインド人を雇う企業の分野も多様化してきているのだろうか?) 日本には未だ2ヶ月くらいで、しかもまたさらに2ヶ月したら帰国する短期の駐在らしいが、企業の研修で日本語を習ったのでいくらか話せるようだった。(最初少し日本語で返事されてたところを、自分が苦しいながらもヒンディー語で会話するべく無理やり雰囲気を持っていったので・・・)
そして一緒にいた婦人はやはり青年の母上様だった。実家のコルカタから日本に今日来たというので駐在期間中に息子と一緒に住むのかと思ったら、この連休を利用して日本を母親に見せるべくわざわざ招待したのだとか。何とも親孝行な良い話である。さらに都心ではなく箱根や鎌倉を観光する予定だというので、これまた素敵なプランである。

最後の方は質問も途切れて互いに黙り込んでしまい気まずい雰囲気にもなったが、久しぶりにヒンディー語で会話したので後々思い出すと楽しかった。これに味をしめて街中で見かけたらヒンディー語話者らしき人にどんどん話しかけようか、ますますアヤシイ日本人である。(でも相手が急いでたりしないか、など状況をまず考慮して話しかけよう。)

それにしても聴き取り難い自分のヒンディー語に耳を傾けて理解に努めてくれただけでなく、「ヒンディー語ができるなら大使館とかできっと仕事の口があるだろうよ」とか心配までして貰って、かなり親切な部類の人に出会えたのが幸運だった。

しかし何と言っても、久しぶりに話してみてヒンディー語の運用能力がかな~り退化しているのを実感した。
映画見たり、ラジオ放送聴いたり、本読んだり、ブログで使ったりとアレコレ足掻いてはいるが、やはり“口をついて出ない”というか面と向かって話す時に言葉が出てこない。頭の中から言葉が引っ張り出せても、さらに口、唇や舌などが上手く連動して音声にできない。やはり言語コミュニケーションは一義的には身体運動なので、日々の積み重ねがそういった面でも大事なのだろう。
(もちろん元からそれほど話せたわけでもないってのが一番の理由なんだが・・・)

でも、「どうしてヒンディー語を勉強する事になったの?」と尋ねられて、「運命がそうさせたんだ क़िस्मत ने मुझे ऐसा बना दिया」 と何故か即座に答える事ができたのには自分でも???
普段そんな事思ってもないし、今まで同じような質問にそんな風に答えた事も無かったので、言った後で自分でも訳わからんズレた返事だなぁと思った。いったい何だったのでしょか?
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# by ek-japani | 2005-05-04 03:48 | 言語
“サーレー ジャハーン セ アッチャー” 創作100周年
※またネタ切れ気味(正直に言うと・・・)なので、BBC Hindi より


c0072728_21284854.jpgもう過ぎてしまったが、先日あるモノが2005年4月21日で100周年を迎えた。
それがタイトルの歌、というよりその歌詞の元になっている一編の詩である。

1938年に没した詩人アッラーマー・イクバール علامہ اقبال
(本名:ムハンマド・イクバール محمد اقبال) は数多くの優れたウルドゥー語の詩作を残した。
そのうちで最も人々に吟唱され愛されているのが、『ترانہ ہندی』 (タラーナー・エ・ヒンディー;直訳すれば『インドの歌』)である。

※少し読み難くなるけども、デーヴァナーガリー表記もついでに。(PCによってウルドゥー語の文字が表示されない事がけっこ~多いようなので。)
また例によって全部の日本語訳はつけないでおきます。(というより専門家の方々に対して恐れ多くて、下手な日本語なんか当てられません~。)

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 ○ ترانہ ہندی
 ○ तराना-ए-हिंदी
سارے جہان سے اچھا ہندوستاں ہمارا
ہم بابایں ہیں اس کی یہ گلستاں ہمارا
सारे जहाँ से अच्छा हिंदूस्ताँ हमारा
हम बुलबुलें हैं इसकी, यह गुलसिताँ हमारा
غربت میں ہوں اگر ہم، رہتا ہے دل وطن میں
سمجھو وہیں ہمیں بھی دل ہو جہاں ہمارا
ग़ुरबत में हों अगर हम, रहता है दिल वतन में
समझो वहीं हमें भी दिल हो जहाँ हमारा
پربت وہ سب سے اونچا، ہمسایہ آسماں کا
وہ سنتری ہمارا، وہ پاسباں ہمارا
परबत वह सबसे ऊँचा, हमसाया आसमाँ का
वह सनतरी हमारा, वह पासवाँ हमारा
گودی میں کھیلتی ہیں اس کی ہزاروں ندیاں
گلشن ہے جن کے دم سے رشک جناں ہمارا
गोदी में खेलती हैं इसकी हज़ारों नदियाँ
गुलशन है जिनके दम से रश्क-ए-जिनाँ हमारा
اے آبِ رودِ گنگا! وہ دن ہیں یاد تجھ کو؟
اترا تیرے کنارے، جب کارواں ہمارا
ए आब-ए-रूद-ए-गंगा! वह दिन हैं याद तुझको?
उतरा तेरे किनारे जब कारवाँ हमारा
مذہب نہیں سکھاتا آپس میں بیر رکھنا
ہندی ہیں ہم، وطن ہے ہندوستاں ہمارا
मज़हब नहीं सिखाता आपस में बैर रखना
हिंदी हैं हम, वतन है हिंदूस्ताँ हमारा
یونان و مصر و روما سب مٹ گئے جہاں سے
اب تک مگر ہے باقی نام و نشاں ہمارا
यूनान-ओ-मिस्र व रोमा सब मिट गए जहाँ से
अब तक मगर है बाक़ी नाम-ओ-निशाँ हमारा
کچھ بات ہے کہ ہستی مٹتی نہیں جہاں سے
صدیوں رہا ہے دشمن دور زماں ہمارا
कुछ बात है कि हस्ती मिटती नहीं जहाँ से
सदियों रहा है दुश्मन दौर-ए-ज़माँ हमारा
اقبال! کوئی محرم اپنا نہیں جہاں میں
معلوم کیا کسی کو دردِ نہاں ہمارا
इक़बाल! कोई महरम अपना नहीं जहाँ में
मालूम क्या किसको दर्द-ए-निहाँ हमारा!

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BBC Hindi の記事(と同時にBBC Urduの記事も参考)によると・・・

毎年の独立記念日や共和国記念日などに行われるインド国軍のパレードやクリケットの国際試合の応援での愛国心を掲揚するために伴奏される。また携帯電話の着信音として街中で鳴ったりするなど、様々な場面で愛国心を呼び覚ますメロディーとして親しまれている。(メロディー自体はラヴィ・シャンカル रवि शंकर が作曲したとの事。)
あのM・K・ガーンディー मोहानदास करमचंद गाँधी もこの詩をこよなく愛していて、独立運動のさなか投獄されていた時に何百回も口ずさんだそうだ。

いろいろな場面で引用される事も多い。
インド人として初めて月面に降り立った宇宙飛行士ラーケーシュ・シャルマー राकेश शर्मा も、当時の首相だったインディラー・ガーンディー इंदिरा गाँधी から「宇宙からインドはどんなふうに見えるのか?」という質問に対して、「サーレー・ジャハーン・セ・アッチャー… (どこよりも素晴らしく…)」と言ったそうな。
最近でも、分断されている両カシュミール間を結ぶバス路線が開通した時、バスが走る道沿いの至る所で「マズハブ・ナヒーン・スィカーター・アーパス・メン・バェル・ラクナー(宗教は説いてやいない、互いに憎しみ合うことなんて)」と書かれたポスターが作者イクバールの肖像と共に貼られていたそうな。


ちなみに・・・
何でこの歌を取り上げたかというと、自分がヒンディー語を大学で習い始めた頃の思い出に結びついているからである。

自分が人生で初めてまともに接したインド人、客員教授の某P先生の授業で入学間もなく文字すらまともに読めんうちから、とにかくひたすら繰り返しいろんな歌を唱和して教え込まれた。その最初の歌がまさにこれだった。

当時はその教え方にカルチャーショックを受けた。
日本の英語教育では一般的に読み書き中心の学習方法が主流(明治維新に始まる英語受容の歴史が背景にあるので一概に悪いとも思わないが、自分もその中で教育を受けた日本人の1人としての例にもれず、英語で話すのに困る事ばかりなのも事実である。)で、言葉を学習するのにまずはともかく文字を覚えてからと自分でも思っていたので。
もちろん文字や文法は別の時間の授業で日本人の先生方が教えていたので、それと同時並行でP先生が受け持つ授業の目的は口述・会話の練習である。しかし当時もその事を十分理解したつもりで授業を受けていてすら、なお驚く(というかよくわからんくて振り回された)という事が多かった。

暗記する、特に耳で聴いて覚えるのが自分はかな~り苦手で、覚えられるとも全然思ってなかった(しかも実際そうだった)ので、テストで歌を暗誦するのは全くできなかった。むしろそういうスタンスの学習方法が時間の無駄にさえ思えてきて、そのためP先生の授業をけっこうサボってしまっていた。

c0072728_21292176.jpgそれでも判らないなりに何回も聴かされ耳に刷り込まれた歌詞を、一昨年にデリーの本屋で購入したイクバールの詩集 (ウルドゥー語の原文+ローマ字&デーヴァナーガリー音写・英語訳) のなかで改めて確認した時、P先生は授業でこう言っていたのか!と少し懐かしい思いをした。(↑上のやつもこの本(写真;右→)を参照した。) しかもその授業中に必死でカタカナ書きでメモした歌詞はやはり全然違っていた。。。(ついでに言うと、この本のローマ字&デーヴァナーガリー音写にも原文と少し食い違ってたり、いくつかは明らかに間違ってる箇所があった。。。)

今回改めてまた読んでみたら、描き出されている情景と詩の韻律のリズムがなかなか良いなぁと思った。また簡潔で親しみやすいのが広く歌い継がれる一番の理由というのも納得である。
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# by ek-japani | 2005-04-25 21:40 | ニュースより
『BHOPAL :Barah Bajkar Panch Minute』
今月から週2回ほど、家から片道2時間電車に乗って通う仕事ができた。

それもあって電車の中で本を読む時間が以前にも増して多くなった。都心に出るまでは朝のラッシュ時に重なるので車中に立ったまま本を開く隙間も無いが、そこからは再び郊外への下り路線なので余裕で座って本が読める。

以前インドで買ってから読みかけのまま放置してたのだが、最近また読み進めているのが今日のタイトル、この本である。

c0072728_5314576.jpg
 『भोपाल बारह बजकर पाँच मिनट』
 (←写真は英語版のもの)
 著者:Dominique Lapierre、 Javier Moro
 出版:FULL CIRCLE Pub.Pvt.Ld.
 ISBN:81-7621-091-9
 価格:Rs.150 (※昨年自分が購入した時の価格)

同じ出版社から同じ装丁で販売されているヒンディー語版/英語版の2種類が書店に置いてあったので、どちらにするか暫くアレコレ考えて迷った。結局はヒンディー語の学習のためにとヒンディー語版を購入した。
(あと価格が英語版よりRs.100 だけ安かったのと、本文中に出てくるインドの地名や人名などがそのまま載っている点が調べ物にも良いかと・・・。)

c0072728_5324434.jpgc0072728_533150.jpg
『ボーパール 午前零時五分 上・下』

(訳:長谷泰、河出書房新社)
 
この本は日本語にも訳されて出版されていて、先にそちらの方を知っていて読みたかったのだが、いかんせんハードカバーで値が張るうえに2巻もあるので敬遠してしまっていた。
忘れた頃にインドの書店でちょうど目に留まってよかった。


ちなみに著者の1人、Dominique Lapierre は『The City of Joy』の著者でもある。
コルカタ (思わず“凝る肩”と打ってしまう…、あのCMの続編またやらないかな~) を舞台に、農村から都会のスラムに移り住んだリキシャー引きとその家族、そして仕事と人生に嫌気が差しインドを放浪するアメリカ人医師との友情の話である。
映画ではインドの名優オーム・プリー(ओम पुरी)がリキシャー引き役を演じている。(映画中ずっと、どこでも、誰とでも、スラムの住民が普通に英語で会話している点が個人的にかな~り気になってストーリーに感情移入できなかったが・・・)

c0072728_5335154.jpgc0072728_534990.jpg
ついでに・・・

フランス語版
(というかこれが原著なのかな?)

欧米版元の英語版
(インド版元もこれの装丁を真似しとるのね)




肝心の内容については未だ1/3程度、ユニオン・カーバイド(Union Carbide)社の工場が建設される段階のところまでしか読んでいないので詳しく言えないが、とにかく興味深い内容である。

オリッサの農村で旱魃によって一家心中の危機にあったが、鉄道建設の仕事に一縷の希望を託してボーパールに流れ着いてきた部族民の家族を中心に、後に大災害に巻き込まれる事になるボーパールの市井の人々、特にユニオン・カーバイドの工場付近にあったスラムの様々な住民に焦点が当てられる。
それとほぼ交互に平行して、アメリカでの同じような化学プラントの状況、農薬の開発者、ユニオン・カーバイド社のアメリカ人役員・インド人の現地社員などに焦点が当てられ、刻々と小さな偶然と必然の積み重ねが大災害に帰結していく様子が淡々と描写されている。


この災害は1984年12月の2日~3日にかけての真夜中に起きた。
昨年12月で20年の節目を迎えたが、まだ被害者への補償も十分になされていないらしい。
旅行したときにはそんな影響は微塵も感じなかったが、それだけ忘れ去られてしまいがちな普段目立たぬところで被害者の人々は苦しんでいるのだろう。
※BBCでは特別番組《One Night in Bhopal》 (←Real Playerで視聴可)を放送したり、そのためにニュースページで特集を組んでいるので、関心があるのならばそちらを参考に。
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# by ek-japani | 2005-04-20 06:27 | 書籍
「カシミールに春は来るか ~印パ接近 最新報告~」
今日も晩御飯の時間にNHKを見ていた。

『クローズアップ現代』で今日は“カシュミール”問題が取り上げられていた。最近和平の雰囲気に沸いているインド=パーキスターンの関係、その流れを受けて先日、4月7日にとうとう実現したのが番組中に紹介されていたバス路線開通である。

c0072728_2395916.jpg←写真;実効支配線
・正式名称:the Line of Control (通称:LoC)
※両国が承認した正式な「国境」でなく、一時的な「停戦ライン」扱いの境界線。

これによって分断され、インドとパーキスターン(+中国)の政府管理下にそれぞれ置かれているカシュミール(कश्मीर کشمیر)地方。
この2つの地域を繋ぎお互いの主要都市間を2週間に1度定期的に就航する予定であるバス路線が開通した。

番組中ではインド領のジャンムー&カシュミール(जम्मू और कश्मीर جموں و کشمیر)州の夏の州都シュリーナガル(श्रीनगर سری نگر) から父親の墓参り&実の弟を訪ねて、パーキスターン領のアーザード(自由)・カシュミール(आज़ाद कश्मीर آزاد کشمیر) の中心都市ムザッファラーバード(मुज़फ़्फ़राबाद مظفر آباد)への記念すべき第一便に乗り込む初老の男性の姿を伝えていた。

c0072728_2402711.jpgバスが両カシュミールを隔てる実効支配線と重なっている河のところまでたどり着くと、その上を架かる橋の手前で乗客はバスをいったん降り徒歩で反対側まで「越境」してから、反対側から来ているバスに乗り換えなければならないようで、未だ直通には至ってはないとのこと。
(今後の状況が上手くいけば橋を補強してトラックの直通乗り入れで物資輸送などの計画もあるらしい。そうすれば分離・独立テロの影響で低迷している両地域の経済に希望の光となるだろう。)

しかしながら誰であれ、別々の「国」で暮らす運命を辿った兄弟が橋のたもとで何十年かぶりに再会を果たした映像に感慨を覚えずにはいられないだろう。自分の家の食卓も俄かにそんな雰囲気に包まれた。

ちなみに次のバスも4月21日に順調に運行される予定らしい。


この番組は一回30分と短い放送時間ながらも、メインのニュースでは紹介され難いトピックと深く掘り下げた視点、問題への斬新なアプローチ(何か使い古された褒め言葉っぽいけど)などなど、凝縮された質の高い内容で週4回も放送している事に対して普段からすごいと思っているが、今回もその例外ではなかった。

ゲストとして2人の現地特派員の方々がニューデリーから中継で、今後の和平の先行きなどについての国谷キャスターからの質問に対する見解を述べていた。
パーキスターン側で取材をしたイスラーマーバード支局の太 勇次郎記者はウルドゥー語専攻の卒業生なので、最近非合法化された分離独立派団体の代表に取材している最中はウルドゥー語でインタヴューなさっているようだった。インド側のリポート映像でも民間人にはヒンディー語(もしやカシュミーリー?日本語の音声が重なってたのでよく聞き取れなかった…)で取材していたようなので、ニューデリー支局の尾原 徹記者もおそらく外語大の卒業生とかでいらっしゃるのだろうか・・・

(ところで・・・尾原記者が半袖シャツなのに対して、太記者は背広姿でネクタイまできっちり締めていた、すんごい暑そうで額には汗が少し光っていたのが印象的だった…)
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# by ek-japani | 2005-04-19 03:54 | ニュースより