土曜に外語祭でヒンディー語&ウルドゥー語の劇を見てきた・・・。
今年はヒンディー&ウルドゥー両専攻が結託して、基本的に一つの専攻語につき1枠90分の時間枠を連続して使えるように登録して、通算3時間の時間枠を確保したようだ。 その時間内に4つの劇が行われた。最初の30分づつでヒンディー語専攻とウルドゥー語専攻の2年生がそれぞれ、その後1時間は大阪外語大ヒンディー語劇団、最後の1時間で東京外語ウルドゥー語劇団、という感じ。 だけど、毎年の事ながら当日開始前の準備の際などに予想外な事がおきたりで、それ以前に行われた他の時間枠の劇からだんだんと少しづつ遅れが溜まってきてたのだろう、時間がずれ込みまくってた・・・。まぁそれもありでしょう、観客もそういうの慣れてるだろうし・・・と思いつつ、久しぶりに会う知り合い何人かと話したりして幕間を過ごした。 ○ 「PYAAR KA CHAKKAR, URF FORMULA 420 प्यार का चक्कर, उर्फ़ फ़ॉम्युला ४२०」 オリジナル作品 日本語副題:「愛のマサラ~恋のお味はスパイシー」 この劇のシナリオを、知り合いの在学生さんが一から練り上げたというので見たかったのだけど、何だかんだ遅れて4時過ぎに駆けつけたので見れなかった。無念。シェークスピアの「真夏の夜の夢」をパロディーにした喜劇だったらしい。 ○ 「SHAHI GHAR MASTIYAAN شاہی گھر مستیاں」 Dr. Muhammad Yunus Bat 作 日本語副題:「乱 嵐 爛♪~サリーム王子がやってきた!の巻~」 劇が上演されている講義棟の大ホールに着いた時にはかろうじて終盤頃だった。 映画『ムガレ・アーザム』のパロディー??な感じの喜劇なんだけど、こんなお茶目な劇の脚本があったとはビックリ。 ○ 「EK RAAG DO SWAR एक राग दो स्वर」 原作:ラージェンドラ・シャルマー 日本語訳タイトル:「不協和音」 見ていて第一に思ったのが、ヒンディー語のセリフ回しのリズムがすごく軽妙なところだ。喜劇に大切な要所要所の笑いどころで、しっかり観客を笑わせるには時に畳み掛けるように一気に喋って、タイミングよくビシっと決めなければならない。それには早口になっても舞台席の観客がはっきり聞き取れる演劇のセリフとしての明瞭さはもちろんの事ながら、語劇の場合は外国語の発音としての明瞭さも求められるので、すんご~い大変な事この上ないと予想。 特にその「急」の部分に関しては、主役の夫婦役の2人がすごかった。口ゲンカしてる時なんかはかな~り早口のセリフの掛け合いがほんとに息ピッタリで、ドタバタ風な喜劇のおかしさを存分に醸し出していた。しょうもない感じの口汚い罵り合いの事を「तू तू मैं मैं」(直約すると「てめぇてめぇ俺俺」)とヒンディー語で表現する事もあるけど、正にそんな言葉を彷彿とする。(もちろん冷め切って仲が悪くともあくまで夫婦なので、言葉使いとしてはそれより一段階は節度がある口ゲンカだけど。) 個人的に好きなのは、前半の方で夫婦ゲンカが激しく盛りあがったクライマックスに「I hate you!」「Shut up!」「You shut up!!」とかかんとか叫んで、ピタッとキマッてからお互いに「ふんっ!!」で1ラウンド終了する部分。何かすごい印象的に耳に残った・・・・。(ヒンディー語劇なのに英語のセリフ部分を褒めるのもなんだが。) ○ 「HIROSHIMA KI KAHANI」 原作「はだしのゲン」:中沢啓治 脚本・演出:木島恭 制作:木山事務所 小学生の時に少し読んだだけ(絵柄が何かうけつけなくて・・・)なのであまり原作の話の筋をまともに知らなかったのだけど、わりとすんなりと話に入っていけた。しっかりした日本語劇が原型になってるいるからだろうか、やはり演劇としての完成度はかなり高い感じがした。特に主役のゲン役とその弟・進次役、それに生き写しの少年・隆太役の俳優さんがたは会場にセリフを轟かせながら舞台を所狭しと大きく動き回って、溌剌と逆境に負けず生きる少年の強さが伝わってくる感じがした。(これは純粋に体力勝負だなぁとも思った、最近体力の衰えを感じる我が身にひるがえって・・・。) ただ「語劇」として(無い物ねだりかも知れないけど)こうだったらもっと良いなぁ、と個人的に思った事を2つ。 一つはもとの日本語劇では広島弁だった(だろうと予測、字幕がそうだったので)セリフの「土着性」について。 もとになった日本語の劇においてはこういうローカルな響きは重要だろう。実際に自分が劇を見ている時にウルドゥー語のセリフで何と言ってるか大体把握できても、字幕の広島弁のほうに土着の力強い響きを感じるのでつい見てしまう感じだった。この日本語の方言の「土着性」をウルドゥー語の劇のセリフでも採用したほうが良いのか、また仮にそうだとしてどのような形で再現できるのか。 最初の問題についてはあまりどちらとも言えない。何をもって「ウルドゥー語」とするかも少し頭を悩ますとこだけど、「どちらかといえば特定の地域よりムスリムのコミュニティーに基盤を持つ」という大雑把な定義を設定したうえで考えると、ウルドゥー語のセリフに土着な響きを持たせるのは難しいのかとも思う。むしろそれならパンジャービーとか近い関係の地域言語をセリフに混ぜる、などの手段が考えられるかも知れないけど。 (「ウルドゥー語」劇である事ためには他の地域言語のセリフなんてご法度ってわけでなくても、)国内外に戦争の悲惨さや核兵器の危険性、平和の尊さなど普遍的な主張を訴える内容である点と、加えてインド公演で各地を回ったという点を考慮すると、特定の地域の響きをセリフに含ませないのがむしろよかったのかなとも思う。いろんな背景を持つ観客に幅広く受け入れられ、純粋に内容に集中することができて。(セリフの「土着性」が人を引き込むベクトルに作用するならOKだけど、逆にそれが鼻について感情移入できない事もあるかもしれんし、最悪セリフが理解されないケースも・・・。) もう一つは直前のヒンディー語劇との違いで感じたのだけど、セリフのリズムについて。 (あらかじめ誤解されないように断っておくと、別にセリフのウルドゥー語の内容や個々の俳優さんの発音を変に感じたわけではない。自分でも理由はわからないけど、あえて言えば脚本がそのままヒンディー語か、日本語からの翻訳か、という違いからなのだろうか・・・。) セリフの一部でウルドゥー語にはそのまますんなりと訳出しずらく、少し説明っぽくなってしまわざるえないような日本語の語彙もしくは表現が出てくる箇所だと、元の日本語のセリフで想定された劇のリズムにウルドゥー語のセリフがうまく乗り切れてないように何となくだが感じた。(もちろんこれは台本を訳した方々もいろいろ苦労しただろう末の完成形なので、今度話す機会があれば関係者にそこらへんの苦労をちょっと尋ねてみたい。) その点、ところどころで挿入される歌は日本語のまま&英語字幕だったのは良い選択だと思う。というか、それこそ歌詞をリズムやメロディーに上手く合うように翻訳するのはかな~り至難の業でしょうなぁ・・・。(でも最後の方に1つだけウルドゥー語に訳して歌ったのがあったのですごい。) ■
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by ek-japani
| 2005-11-21 08:03
| 考察
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